お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

平安

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
(ヨハネ14:27)

心の平安とは、心のどんな状態を言うのでしょうか。
辞書で調べると、心の平安とは、「心が無事で穏やかなこと」 と説明されています。
どんな時、このような状態かというと、私たちは物事が自分の願い通りに無事に運んでいるとき、心は満足し穏やかになり、平安を感じます。
 
しかし、私たちの毎日の生活には、多くの問題や課題が発生し、そのことで頭を悩ませるし、「一寸先は闇」と表現されるように、どんな問題が起きるか全く予測できないので、不安を覚えることがしばしばあります。

具体的な心配事があると、私たちの心は揺れ動き、心は不安に陥り、私たちは心の平安を失ってしまいます。夜の睡眠も十分に取れなくなるのです。

ここ数日のわたしは眠りが浅く、夢ばかり見て頭がすっきりとしません。
今朝は特に頭が重くボンヤリしています。
そんな状態でも心は平安でなければならないのです。それが本当の平安というものです。
 
では、体調が良くなくても、ある問題を抱えていても、心が平安を保持していくためには、どのような生き方をすればよいでしょうか。

 心の平安とは、「心が無事で穏やかであること」と言われていますが、問題や課題のない状態の中で生きている人は一人もいません。
ガラテア6:5に
「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」とあります。

ですから、平安な生涯とは、問題課題のない生涯を言うのではなく、人間は皆、さまざまな問題や不安の中でこそ、心は平安でなければなりません。

むしろ、心が平安であれば、問題や課題があってもそこから逃避することなく、その問題や課題を解決され、むしろわたしたちの成長のためのエネルギー源となります。

そのわたしたちの成長のエネルギー源となる心の平安はどこから与えられるのでしょうか。
それは、私たちの人間を創造された父なる神様への信頼から与えられるものです。
神様への確信と信頼こそ、平安の土台であると思います。

赤ちゃんが母親のひざの上で、平安に眠ることができるのは、母親を絶対的に信頼しているからである。

 私たちはイエス様を信頼する者ですから未来を恐れる心配はありません。

聖霊がイエス様の平安でわたしたちを満たしてくださいますから恐れなくて良いのです。

ヨハネ16:33
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

勝利者はイエス様です。ですからわたしたちはもっとも困難な時にあっても、キリストの平安を経験できるのです。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016 8/19




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by yuuchinpuutan | 2016-08-19 12:55