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by yuuchinpuutan

第1ヨハネ4:17

このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
(第1ヨハネ4:17)

昨日は祈祷会に出席しました。メッセージは丸山先生。聖書箇所は第1ヨハネ4:13〜21でした。
神様は愛のお方で、わたしたち一人一人の存在を愛し、喜んでくださっています。
その愛は、わたしたちを罪から救うために、御子を地上に遣わし、わたしたちの罪の身代わりなさったほどです。

その身代わりになって下さったイエス様をわたしの救い主と信じた時、イエスさまはわたしの中に住まわれますから、わたしたちはイエス様と似た者とされ、隣人を愛することが出来るようになります。

「愛には恐れがありません。」

ですから、裁きの日も恐れず、大胆に神様の前に立つ者とされますように。

しかし、わたしたちは神様によって罪赦された者ではありますが、罪の性質から、隣人を愛することが難しく苦しい時があります。
そんなわたしたちに、第1ヨハネ4:21
「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」と、あります。
わたしたちはイエス様からよく学び、みことばを実践する者とされますように。

イエス様は具体的にわたしたちにこのように教えて下さっています。

ルカ14:12〜14
「また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。
祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。
その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」

わたしはこの箇所から気付かされました。
人に見返りを期待せず、それがたとえ一方通行でも、神様の愛から出た行いは、神様の裁きの日に「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」と言っていただけることでしょう。

主よ。わたしたちが神様に愛されている者として、隣人に心からの愛を実践することができますように助けてください。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016. 10/7
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by yuuchinpuutan | 2016-10-07 13:26