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by yuuchinpuutan

神は愛なり

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12:2)

昨日の礼拝メッセージから。

宣教題は「主が十字架につけられた時」マタイ27章からでした。

メッセージの中で死について語られた箇所がありました。
死というものの不安。自分が居なくなってしまう悲しみに、人はどこまで耐えられるかというお話でしたが、イエス様はわたしたちの救いを完成するために、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び。。」とあります。

死を前に「わたしたちの救いを完成する喜び」を持って死なれたイエス様は「究極の愛のお方」です。

第1ヨハネ4:16
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

先日渋谷の東京福音教会に伺いましたが、礼拝堂の正面に大きく「神は愛なり」とありました。毎週そこで礼拝する方々は、神様が愛のお方であることを文字を通しても感謝しメッセージをいただくのでしょう。

わたしたちの教会は正面に十字架と放蕩息子の絵があります。
それは、まるでイエスさまの愛と十字架の下にわたしたちが帰るようです。

礼拝メッセージで語られたことは、「イエス様の愛の中、わたしたちも他者の喜びの中に、自分の喜びを見出すことができますように。」ということでした。

ローマ15:1〜3
「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。」

ヨハネ15:12~13
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

わたしたちも、友の話に耳を傾けること、助けること、励ますこと、与えることができますように。
愛を必要とする誰かのために祈り、わたしたちの出来る愛を精一杯示すことができますように、主よ、わたしたちに神の愛のパワーをください。

ヨハネ13:34
「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016 11/7
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by yuuchinpuutan | 2016-11-07 08:13