感謝
2016年 11月 24日
(コロサイ3:17)
わたしたちクリスチャンは、神様、人に対してよく「感謝」という言葉を使います。
「感謝の礼拝を捧げる」「お祈り感謝します。」と、言うようにです。
しかし、わたしたちは礼拝の時間に遅れまいとして、イライラと先を急ぎ、家族に当たり散らしたりすることはないでしょうか。
わたしの過去の話をすると、わたしの家族は毎週家族で礼拝に出席していましたが、姑とぶつかった週明けの日曜の礼拝は1番前に座る姑の背中を見ながらイライラして、とても感謝な心を持って礼拝ができませんでした。
しかし、わたしの場合は、姑がいたから、姑とぶつかったから、教会に救いを求め、イエス様に救っていただきました。
そのことを思う時、日曜の礼拝では、自分がいただいているものすべて、喜び、悲しみ、怒りさえも主の前に捧げ感謝に変えていただこうと思います。
そうすることで、日常すべての面でイエス様に感謝の生活が出来るでしょう。
そして、わたしたちが「感謝、信仰、希望、愛」によってイエスさまの代理となるような行いをし、家族、友人、周りの人々を、イエスさまのもとに導くことができますように。
(コロサイ3:15)
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。
そのためにあなたがたも召されて一体となったのです。
また、感謝の心を持つ人になりなさい。」
今日も主が感謝と喜びを与え、私たちの心に平和を与えてくださることを感謝し、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 11/24