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by yuuchinpuutan

希望

 今、雨雲の中に輝いている光を  見ることはできない。  しかし、風が吹き去るとこれをきよめる。
(ヨブ記37:21)
 


神様を信じていても、「なんでわたしにこんなことが。。。」と、神様が分からなくことがあります。

けれども、やがて風が吹き、雲を去らせ、再び光がわたしを照らすときが来ると信じることの出来る人は幸いです。
たとえ雲に覆われていても、そこに神様がいらっしゃる信じる人は。

クリスチャンでも、突然予期しない災難が起こることがあります。ヨブ記の主人公ヨブは、信仰あつく真面目な信仰者でしたが、ある日、ヨブの家畜や召使が盗賊に襲われて全員殺されてしまいました。またヨブの息子娘たちが食事をしているところに大風が吹いて来て、家がつぶされて一瞬のうちに、全員死んでしまいました。そしてヨブ自身も体中にかゆい皮膚病ができて、素焼きのかけらで体中をかきむしらなければならないひどい状態になりました。
こんなひどいことがあるでしょうか。

ヨブの妻が言ったように、「神を呪って死んでしまった方がまし」なのでしょうか。


このヨブの箇所を読んで必ず思い出すことは、わたしの母の長かった皮膚病のことです。
母は日本人にはあまり無い、ひどい皮膚病に一年の寒い時期に限り、20年以上も悩まされました。
顔に出なかったのは幸いでしたが、かゆみと、皮膚がボロボロになる症状は母が認知症になってからは、母とわたしの苦しみになりました。

治療と着替えと洗濯掃除が大変だったのです。

ある時、母が「何の因果だろうね。わたしは悪いことはしていないとおもうけれど。。」と辛そうに言ったので、わたしは聖書のヨブの話をしました。

すると母は「その人は治ったの?」と聞いてきたので、「辛くても神様を信じて信仰を捨てなかったから治ったよ。」と話すと、「よかったわねぇ。わたしも優子と一緒に教会に行くよ。」と言ったのでした。

認知症の母と聖書の話でまともに会話が出来たのは、ただ、その1回だけだったのです。
そして、こちらに引き取ってからは、1年間はわたしたち家族と礼拝に出ていましたが、だんだん認知症が進み、礼拝が困難になってからは、教会には行かなくなり、牧師先生が訪問してくださるようになりました。

なんと、その母が亡くなる数年前から、その皮膚病から解放されたのでした。
その時の母は自分が皮膚病で苦しんていたこともすっかり忘れて、特別喜びませんでしたが、わたしは本当に助かりました。神様に感謝しました。

わたしの人生における神様のお働きを、御言葉から、過去の出来事から思いださせて下さることを感謝します。

これからも、たとえ辛いことがあっても信仰を捨てずに歩んでいくことが出来ますように。


哀歌3:31~33
「主は、いつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、
主は、その豊かな恵みによって、
あわれんでくださる。
主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」


今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。


2016 12/11
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by yuuchinpuutan | 2016-12-11 06:02