重荷
2016年 12月 16日
(詩篇55:22)
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。」と徳川家康が言った有名なことばがありますが、わたしたちの人生は徳川家康が言うように苦しみと悩みに満ち、重荷を負いながら、遠い道を歩み続けている ようです。
しかし、詩篇のダビデと徳川家康の決定的な違いは、そんな人生の歩みの中で、神を信じているかいないかです。
信じていなかった徳川家康は人生を重荷を持って遠い道を歩み、そして、その行き着くところは「死」であることを考え、いつも不安と恐れに満ちていたのではないでしょうか?
わたしはこの徳川家康の言葉を知ったのは学生時代だったように思います。その時は、たぶん「そんなものなのかね?」ぐらいだったように思います。
若さとはそのようなものなのかもしれませんが、長く生きてきて今は人の数だけ重荷があることを知っています。
そして、クリスチャンになってからは、この苦しみはわたしたち人間の「罪」から来ることを知りました。
アダムとエバがエデンの園で神様に従わなかったことで、わたしたち人間に罪が入り、死が入ってしまったのです。
しかし、わたしたちを愛によって造られた父なる神様は、わたしたちを「罪と死」から救い出してくださるために、御子イエス様をわたしたちのところに送ってくださいました。
イエス様が私たちの重荷も、私たち自身もいっしょに負ってくださるのです。
ですから、重荷を一人で背負わず、イエス様を信頼してお委ねしたいと思います。
イザヤ46:3~4
「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。 なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 」
第1ペテロ5:7
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016. 12/14