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by yuuchinpuutan

神様の被造物

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
(ローマ1:20)

先日我が家に遊びに来た友人を途中まで見送った帰り道、夜空を見上げたくさんの星を見た時、とても平安な気持ちに包まれました。

その日の昼間は、春二番と言われた強い風が吹き荒れたせいか、澄み渡った夜空の星が特別綺麗に見えたのでしょう。

なんだか神様に「わたしはここにいます。わたしの造った素晴らしいものを見てみなさい」と語られているような気持ちになりました。

そして、昨日は友人と近くの山へ桜を見に行きました。

何年ぶりでしょうか、山と空、眼下に町々を見たのは。
久々に感じる感覚。
自分の存在は自然の中で本当に小さなものなのだけれど、「わたしは今生きている。」という実感。

神様の造られた自然を賛美し、その中にあって平安を感じるわたしたち人間は、神様の創造を一緒になって喜ぶという神様の協力者であるということなのでしょうか。

神様によって造られたわたしたち、神の形に似て造られたわたしたち人間のみが、喜怒哀楽の感情をいただき、神様の創造なさったものを喜ぶことができます。

わたしは昨日桜を見に山を登りましたが、花を見て、山々を見て、雲を見て、その美しさに目を輝かせるのは人間だけなんだと思いました。

神様はわたしたちを喜ばせようと様々のものを見せて下さっています。
これは神様がわたしたち人間と一緒になって喜ぶためでしょう。

その自然を通して、神様の御臨在を感じることができるのは、わたしたち人間だけです。
つまり、人間以外に精神的に成長する存在はいません。

つまり自然を通して霊的な世界を感じるのは神様が息を吹込み、造られた人間だけです。
神様の子供であるわたしたちのみが、神様の愛する唯一の存在なのです。

だから、わたしたちは月、星、山、雲、花を見た時、癒され平安を感じるのだと思います。

目に見えない創造主の存在は、神様の造られた素晴らしい世界、被造物という、わたしたちに見えるものによって明らかにされています。

ですから、わたしたちは神様の造られた自然を大事にして生きていかなければなりません。神様はこの自然を管理することを人間に任せましたから。

人間の利益から自然を破壊することを神様は悲しんでおられます。
人間が正しく神様の造られた自然を治めることができますように。

そのことを昨日は考える時となりましたことを感謝します。

創世記1:1

 「初めに、神が天と地を創造した。」

詩篇19:1~2

「天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 2/23
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by yuuchinpuutan | 2017-02-24 09:06