幸いな魂
2017年 04月 02日
(ヨハネはヨハネの手紙第3 1:2)
今朝は起きたらいつもより足が軽くなっていて、爽やかな気持ちで1日をスタートしました。
昨日は雨降りだったので、教会の往復を歩きましたが、それがよかったのかもしれません。
いつも自転車に乗らず歩いたら良いのでしょうが、時間がギリギリになったり、面倒がったりしてついつい自転車に。
歩くこと、歩く姿勢で人はずいぶん若々しく見えるそうです。
昨日は姉妹方と外食をしましたが、そこで出た話は年齢、病気、年金、ペットでした。
その話でけっこう盛り上がったのですが、「あ〜〜わたしもついに。。」と思ったりもしました。
しかし、今朝の爽やかな気分から、「今日も歩こう背筋を伸ばして。」と気分も一転しました。
そして、大切な家族、愛する方々の健康と平安をお祈りしました。
ところで、わたしたちは「健康」という時、一般に「身体」のことを考えます。しかしWHO(世界保健機関 (World Health Organizationは、「全ての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」を目的として設立された国連の専門機関)で発表している健康の定義は次のようなものです。
「健康とは、精神的・肉体的・社会的・霊的に良好で安定していること」
クリスチャンのわたしは「霊的」というと反応しますが、わたしたち人間存在の中心にあるものが「霊」なんですね。
しかし、わたしたちはあまりにも体が健康か、そうでないかに振り回されています。
大切な「霊」を忘れてはいけないと思いました。
人間は内側のものが外側にでます。
身体は疲れていても心が元気なら、行動を起こせます。しかし、逆に身体が元気でも心が疲れていると動けません。
ですからわたしたちの「健康」の源は、「霊的な健康」にあります。
ヨハネはヨハネの手紙第3 1:2で「霊的な健康」を「魂に幸いを得る」と表現しました。
聖書が教える「幸いな魂」とは、自分は神様によって造られ、救い主なるイエス・キリストによって「罪が赦された者」であるという喜びと平安を持つ魂です。
そして、自分は日々助け主なる聖霊によって導かれているという確信を持ち、天国で永遠の命をいただくという希望を持つ魂です。
三浦綾子さんが書いてらしたと思うのですが、入院中の寝たきりで何も出来ないおばあさんのところに、次々と入院中の患者が会いに行って、皆がとても励まされ、心が元気になったというお話。
このおばあさんは体は健康ではありませんでしたが、「霊的な健康」によってたくさんの人の心を癒しました。
わたしたちが、神様が造られたこの体を気にかけ大切にし、霊的においては日々御言葉の糧をいただき、霊肉共に健康で、神様に仕えることができますように。
たとえ肉体が病になっても、霊的な健康が失われないことを感謝します。
箴言3:5~10
「心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。
それはあなたのからだを健康にし、
あなたの骨に元気をつける。
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2017 4/2