お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

目が開かれる。

それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
(ルカ24:31)

彼らの目が開かれたということは、それまでは見えなかった。わからなかったということです。

マグダラのマリヤもお墓に行った時、復活のイエスさまに会っても、はじめはイエス様だとわかりませんでした。

ヨハネ20:14「イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。」

マリヤはイエス様は死んだと思っていたので、まさか生きかえって自分に声をおかけになるなんて思ってもいなかったからでした。

わたしたちは、試練の中にいる時、悲しみから神様に祈れなくなる時があります。

わたしたちは、どんな恵みの中に置かれていたとしても、どんな悲しみの中に置かれていても、霊的に眠った状態では、神様を認めることはできないのです。

しかし、そんな時、わたしたちからイエス様に近づくのではなく、イエス様から近づいてくださいます。


ルカ24:17
「イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。」

このように、イエス様は、ごく自然に彼らの会話に加わります。決してむりやり入って来られませんでした。

ここにイエス様の優しさを感じます。

わたしたちはこの主に習って伝道すれば良いと思いました。

試練の中に居られる方に「主を信じなさい。そうすればあなたはその苦しみから解放され、救われるのです!」というより、日常会話の中で、自然に主との交わりを伝えることができますように。

主よ。どうぞわたしたちの霊的な目を開かせてくださり、イエス様をしっかり見て、イエス様の愛に習う者としてくださいますようにお願いいたします。

そのために、日々みことばを通して、支え、導いてくださることを感謝します。

主と共に歩める恵みをわたしたちを通して、多くの人々が知ることができますように。

今イエス様は聖書を解き明かす役割を、わたしたちに委ねておられます。
エペソ4:11に

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」

と、あるように、イエス様は御言葉の取次をわたしたちに任せておられますから、わたしたちを愛の交わりの中において豊かに用いてくださいますようにお願いいたします。

今日も主が共に歩んでくださることを感謝して、主イエス.キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。

目が開かれる。_d0100239_07152693.png

ジャックマール=アンドレ美術館所蔵の『エマオの晩餐』
by yuuchinpuutan | 2017-04-20 07:13