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by yuuchinpuutan

うけいれる

あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
(ローマ14:1)
聖書通読 ローマ14章

これは、神様がキリストにあってわたしたちを受け入れてくださるのと同じように、わたしたちも他の人を受け入れなければいけませんということです。

教会において、意見の違う時がありますが、頭ごなしに人の考えを否定したり、信仰を疑ったりするのはよくありません。
また、意見の相違を恐れたり、ぶつかるのを恐れるあまり、正しい意見を引っ込めたりするのも良くありません。

わたしたちは相手を常に愛を持って受け入れるよう努めなければいけません。他の人の意見に耳を傾け、理解する努力が必要です。
見解の相違で教会が分裂しないように努めなければなりません。

 14章では、食べ物のことが問題になっています。
律法を守ってきたユダヤ人と、そうでない異邦人では偶像に捧げた肉を食べるか、食べないが大きな問題になり、教会が分裂する危険がありました。

パウロは教会の一致が最大の目的でしたから、14節15節で
「主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。」と言っています。

わたしたちがここから学ぶことは、クリスチャンはそれぞれの意見を裁くために教会に集まっているのではなく、互いにうけいれ、助け合って、キリストの身体をそこに建てあげるために集まっているのです。

19節~20節
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。」と、パウロは言っています。

平和と霊的成長をわたしたちは常に求めていくものですが、聖書に書かれていなくて、よく分からないことが今の世の中には溢れています。
そんな時、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか?

パウロは22節23節で、
「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。」
わたしたちは聖霊の声に従い、且つ人を裁くことなく、信仰生活を送る者となりますように。

ローマ12:3に
「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」とありますから、同じ主を信じていながら、異なる意見を持ってますから、そのときに、相手の意見を裁くことがないようにしたいものです。

しかし、気をつけなければならないのは、救いに神の国に入ることができないような悪い行ない、不品行、偶像礼拝、異端、争いなどを教会の中に持ちこもうとする人もいますから、教会は、適切な処置を取らなければいけません。

わたしたちは互いに意見の違いも理解しあいながら、清さを持ってキリストの愛を実践するものとなりますように。

今日もみ言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 7/4
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by yuuchinpuutan | 2017-07-04 15:46