シメオンとアンナ
2017年 09月 12日
私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。
(ルカ2:29~32)
聖書通読ルカ2:21~39
幼子は生まれてから8日が過ぎ割礼をほどこす時となったので、御使がマリヤに告げたとおり、イエスと名づけて、律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるため、両親はイエスを連れてエルサレムへ上りました。
動物の生贄を捧げ、割礼と初子の贖いと母親のきよめのための儀式を行うためでした。
マリヤとヨセフが神殿に行くと、シメオンと女預言者アンナという二人の老人がいて、イエスと両親を祝福しました。
二人とも敬虔な人でイスラエルの贖いを待ち望んでいました。
そして、シメオンは主のキリストを見るまではけっして死なないと聖霊のお告げを受けている人でした。
シメオンは神にささげられている幼子が、イスラエルの慰め主、長い間待ち焦がれていたお方であるということが聖霊によってすぐ分かり、イエス様を自分の腕に受け取って、神様を褒めたたえました。(ルカ2:29~32)
ここから学ぶこと。
当時のユダヤ人の文化は年長者は尊敬され、シメオンやアンナの預言は特別に重要でした。
現代はどうでしょうか?
わたしたちは、歳を取って来ると今まで出来ていたことも出来なくなり、外見も衰えてくるので、自分にがっかりする時があります。
周りの人も、ともすると衰えたお年寄りを蔑んだ目で見たりします。
今は若さや能力が注目されるからでしょう。
わたしたち自身も「おじさん、おばさん、じいさん、ばあさん」と言われると、実際おばあさんであっても腹をたてたりします。
これでは歳を取ることは悲しみでしかありません。
しかし、わたしたちはシメオンや、アンナのように主を待ち望み、地上での最後の1日まで神様を褒めたたえ仕えることで喜びの中に生きていたいものです。
そして、わたしたちより高齢の方の経験を語ってくださることに耳を傾け、そこから知恵をいただく者でありますように。
感謝してお年寄りを励まして差し上げることができますように。
今日もみ言葉から教えていただいたことに感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通しお祈りいたします。
アーメン
2017 9/12