マルタとマリヤ
2017年 10月 09日
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
(ルカ10:41~42)
聖書通読ルカ10:38~41
イエス様は仮庵の祭のためにエルサレムに戻り、そこでお話した後、近くにある小さな村ベタニヤに行き、マリヤとマルタの姉妹を訪ねました。
姉妹はイエス様を愛し、仕えていました。
マルタはイエス様をもてなすために一生懸命家事をしていましたが、マリヤはイエス様のそばでお話を聞いていて家事をしませんでした。
そこでマルタがイエス様にお願いしたところ、イエス様はそのように(ルカ10:41~42)におっしゃったのでした。
この箇所は短いですが、教会にいくようになって、奉仕をする中でこの場面を思うことがあります。
教会には時々、他の教会から牧師先生やお客さまがいらっしゃいます。
限られた時間の中で、そばでお話を聞きたいと思っても、遠慮したり、おもてなしや片付けで忙しくしてお話しをあまり聞けないことがあります。
そんな時、そばでずっと楽しそうに話している姉妹を羨ましく思ったことがありました。
でも、それはわたしだけで無く、教会で奉仕をする方々はそう思ったことがあると思います。
そのことに対してイエス様は話を聞いているマリヤの方が偉いとおっしゃったわけではなく、イエス様にうったえたマルタの奉仕をする姿勢を指摘なさったのでもなく、主イエスの教え、神の言葉を聞くということが大事だと教えて下さったのでした。
わたし自身は体を動かして活動することが好きなので、今は教会でこの体を用いていただいていることを感謝したいと思います。
料理の上手な人は料理をつくリ、もてなす賜物を感謝したいものです。
神様は喜んで奉仕する者に目をとめられます。
マルタはイエス様に仕えたいと思いながらマルタを羨ましく思い、腹も立てていましたが、イエス様はマルタの名前を二回優しく呼んで「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。」とおっしゃいました。
わたしたちの神様に仕える姿勢をイエス様は見ておられます。
わたしたちも神様への奉仕がただ多忙で終わることがないように、その疲れから愚痴がでたり、誰かを責めたりしないように、御言葉に立ち心から喜んで主に仕える者となりますように。
ローマ10:17
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン
2017 10/9