祈り
2017年 10月 25日
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ18:13~14
聖書通読 ルカ18:9~17
自分を義人だと思い込み、人を見下しているパリサイ人たちに、イエス様はたとえ話をされました。
それは神様を礼拝するために宮に上がった二人の人の話でした。
パリサイ人は神様を礼拝する時に、神様にお祈りをするのではなく、自分の善良さ、敬虔さを人々にアピールしていましたが、取税人は自分の罪を認め、神様に心から赦しをこいました。
イエス様は、
14節
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と、この二人のうち神様から義と認められたのは、取税人だとおっしゃいました。
ここから気付かされたこと。
わたしはパリサイ人のような祈りはしませんが、取税人のような祈りもいつもしていません。
良くない自分に気付き、苦しい時は取税人のような祈りをします。
しかし、取税人のように「神様!わたしをあわれんでください!」と憐れみ深いお方と信じ祈るより、「こんなわたしを赦してください。」と祈っていることに気付きました。
わたしたちはイエス様を信じ、すでに罪赦されているのですから、わたしたちに必要なものは神様の「憐れみ」です。
わたしたちには毎日神様の憐れみと励ましが必要です。
ですから、日々神様に憐れみをいただけるように正直にへりくだった姿で神様の前にお祈りしようと思いました。
詩篇34:18
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 霊の砕かれた者を救われる。」
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン
2017 10/25
カール・ハインリッヒ・ブロッホ作「山上の垂訓」(1877年)