イエス様のペテロへの眼差し
2017年 11月 08日
彼は、外に出て、激しく泣いた。
(ルカ22:61~62)
聖書通読 22:54~62
今日の箇所は、逮捕されたイエス様に付いて行った弟子のペトロがイエス様を3度知らないと否定する場面です。
わたしたちはここを読んだとき、その事がある前に交わされた、イエス様とペテロの会話を思います。
ルカ22:32 ~34
「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」ペテロに対するイエス様のこの励ましこそが、わたしたちに語られたことです。
イエス様を否定するペテロに向けられたイエス様の眼差しこそ、わたしたちへの励ましです。
わたしも「クリスチャンです。」と堂々と言えない立場に立たされた時がありました。
クリスチャンとしてしてはいけない罪を犯した時もありました。
これからも失敗はあるでしょう。
そんな時、わたしはペテロを見つめるイエス様の眼差しを思います。
マルチン・ルターが、
「自分を正しく知り、高慢にならないために、この例を心に刻みなさい。私たちが自分自身の悪さを自覚するためには、ある人(ここではペトロ)の罪が他の人を悔い改めへと導くものにならなければならないことがしばしばあるものです。」
と、言っているのを知りました。
このルターの言葉から、後にペテロは初代教会のリーダーとなりましたが、リーダーとしてペテロのイエス様を否定した罪と、イエス様の愛によって悔い改めに導かれた経験が多くの人を導いたことを思いました。
そして、今も尚、このことが、わたしたちへの教訓と主への感謝になっていることを覚えたいと思いました。
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン
2017 11/8
聖ペテロの拒否
Caravaggio (1610)