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by yuuchinpuutan

2017年 05月 20日 ( 1 )

信ずる者はみな救われん

私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。
(ガラテヤ2:21)

聖書通読。ガラテヤ2章。
21節から、「信ずる者は誰も みな救われん」という賛美を思い出しました。
クリスチャンになる前から、この一節を知っているのは、路傍伝道の人から聴いていたのかもしれません。

何から救われるのか分からなかったけれど「救われる」から「命が救われる」を思い、たいそうすばらしいことのように思いました。

しかし、イエス.キリストを信じるだけというと、何か簡単すぎるような気もしました。

教会に行き始めた頃は、自分の努力や行ないがあった方が安心できたし、いかにも救われていて、いかにも信仰的で優れているかのような気持ちになったこともありました。

すると、「信じる」ことより行いに目が行き、奉仕をしない人を内心裁いたり、奉仕しない人を批判する人にガッカリしたりもしました。
 
しかし、人はみな年齢、能力、置かれた場所が違うわけで、行いで救われるなら、息切れしたり、わたしのように人を行いによって裁いてしまうでしょう。
「 信じるだけ」でというと、何もしないかのような、罪が野放しになるかのようなものではなく、「ただ信じるだけで救われる」は神様からの平等な恵なのです。

そして、イエス・キリストの十字架によって、成し遂げられたこと。命を懸けて成し遂げて下さった愛は、神様がどれほどまでにわたしたちを、愛してくださっているのかという、神様の愛の現われです。
 

もし、信仰の他にプラス アルファーが必要だとしたら、ガラテヤ3:21にあるように、イエス.キリストの十字架は無意味になってしまいます。

神様の恵みで救われたのに、その救いを行いで維持しようと努めれば、自分を責めて落ち込んだり、人を裁いて心を乱したりします。

そのような気持ちになった時は、十字架の恵みに立ち返り、「信ずる者は誰も みな救われん」を思い、永遠のいのちを受けている喜びを新たにして、平安をいただく者となりますように。

今日も救い主イエス.キリストを信じ、救われた恵に感謝して、主の御名によりてアーメン。

2017. 5/20
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by yuuchinpuutan | 2017-05-20 06:48