お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

2017年 08月 09日 ( 3 )

本物を見分け信じる。

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さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
(ヨハネ7:37~38)

聖書通読ヨハネ7:1~53

7章はイエス様に対する人々のいろいろな反応が示されています。
人々はイエス様を「良い人」「詐欺師」「悪霊に取り憑かれている人」「メシヤ」「預言者」と呼んでいます。
イエス様について、ああだ、こうだと言って、誤った判断をする人々ばかりです。
ユダヤの人はガリラヤの人を差別して馬鹿にしていたので、救い主がガリラヤから出るわけがないとも思いました。
イエス様の弟たちも、そのころはイエス様を信じていませんでした。

人々は噂や、誤った情報で判断したり、偏見からイエス様に殺意まで抱く人もいました。

そんな状況の中でイエス様は仮庵の祭りの中、宮に上り、人々に教え始められました。
ヨハネ7:37~3
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
人々はこのイエス様のことばを聞いて信じる人と信じない人に分かれました。

ここでわたしが思い出したことは、

「わたしの主人はイエス様なんです。」と発言なさった牧師夫人がおられたことです。

それを、
「主人は試練に合ってもイエス様の御苦しみを思い耐えています。」とおっしゃれば、「アーメン。」だったのですが、当時はその言葉の真意が分からず、おかしなことをおっしゃる。。。と、思いました。

最近では「わたしがメッセージで語る言葉は神様が語っているのです!」と言った牧師さんの話を聞きました。
わたしが直接聞いたわけではないので、よくわかりませんが、良くも取れるし、疑問にも感じます。

イエス様はヨハネ7:16~18で、おっしゃいました。
「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。」

アーメン。

神様のみこころを、み言葉を通して学び行う人は、その人が神様から遣わされた人かどうか分かるということでしょう。

この箇所からイエス様がサマリヤの女におっしゃっことばが浮かびました。
ヨハネ4:10
「イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

わたしたちは、習慣や、周りの人の評価や、噂に振り回されず、本物を見分け、イエス様のおっしゃる「生ける水」である聖霊を受けることができますように。

今日もみ言葉から励ましをいただけることを感謝し、イエス.キリストの御名によってお祈りします。

アーメン。

2017 8/9
by yuuchinpuutan | 2017-08-09 05:52

いのちのパン

わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。
(ヨハネ6:51)

聖書通読ヨハネ6章22~71

マタイ26:26
「イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」

聖餐式の時に読まれる箇所です。
教会に行き始めて、聖餐式のこの箇所を聞いたとき、「イエスさまの体を食べる。血を飲む。」たとえ比喩であったとしても、強烈な印象をうけました。

ここでの生けるパンを食べるとは、イエス様を人生に受け入れイエスさまと一体になることを意味しています。

人生に受け入れるとは、イエス様の死と復活を信じ、イエス様の教えに生き、聖霊の導きを信頼することです。

ヨハネの6章ではイエス様はわたしを信じる者すべて「よみがえらせる。」「永遠のいのちを持つ。」と何度も繰り返し語っておられます。

イエス様は永遠のいのちにみちびく霊的なパンとして、人々にご自分を差し出しておられます。


しかし、そのことをなかなか信じれず、いのちのパンを受け取らない者がいることも言っておられます。
その人々にイエス様は、

マタイ7:7
「 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

ルカ11:13「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

とおっしゃっておられますから、天の父に救いを求めるわたしたちでありますように。

今日もみ言葉を心から感謝し、イエス.キリストのお名前を通してお祈りいたします。
アーメン

2017 8/8
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by yuuchinpuutan | 2017-08-09 05:50

恐れることはない。

イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。
(ヨハネ6:19~21)

聖書通読 ヨハネ6:15~21

イエス様がなさった5つ目の奇蹟は、舟に乗り込んだ弟子たちに突然の強風が襲った時、そこにイエス様が湖の上を歩いて、舟に近づいて来られたことです。

弟子たちは人が水の上を歩くなんてありえないと思っていたから、イエス様を幽霊と思ったのか、恐怖に襲われました。

そんな弟子たちにイエス様は、
「わたしだ。恐れることはない。」とおっしゃって、嵐も静まりました。そして、弟子たちはイエス様を喜んで舟に迎えたのでした

先日ある姉妹が、「この歳になってこんな大きな試練が来るなんて。。人生ってほんとわからないですね。
どんなことかは話せませんが、お祈りください。」
と話されました。
具体的に言えないほど、姉妹にとって大きな悩みなのだと思いました。

わたしたちは、この世に生きている限り、しばしば霊的な嵐の中に突然放り込まれることがあります。
しかし、イエス様に委ねることでわたしたちは平安がいただけます。
「わたしだ。恐れることはない。」「わたしが共にいる。恐れることはない。」とおっしゃってくださっています。

イエス様を信じ、行動すれば試練も恵に帰られる時があると信じます。

昨日、その姉妹がわたしを呼びとめてくださり、笑顔で「お祈りありがとうございました。なんとか乗り越えることができました。」と報告してくださいました。
ハレルヤ!
イエス様に感謝します!

ヨハネ16:33
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

今日もみ言葉から励ましをいただけることを感謝し、イエス.キリストの御名によってお祈りします。

アーメン。

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by yuuchinpuutan | 2017-08-09 05:47