お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

2017年 10月 31日 ( 2 )

捨てられた石

イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』 と書いてあるのは、何のことでしょう。
(ルカ20:17)

聖書通読 ルカ20:1~19
 
イエス様は宮に入られてから、そこで商売をしていた人を追い出してから、民衆に福音を宣べ伝えておられましたが、祭司長、律法学者たちが、長老たちといっしょにイエスに立ち向かって、
「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」と攻撃してきました。

彼らは「自分たちがここを治めているのに、イエスは勝手なことをして、神殿の中に混乱をもたらしているとんでもない奴だ!」と思ったのでしょう。

この箇所から思ったこと。

わたしたちも、今の生活が無事に平和に思える中で、突然何かがその生活を壊しはじめたら、なんでこんな目にあわされるんだと、怒り、その原因となったことを攻撃することでしょう。

しかし、わたしたちクリスチャンが忘れてはならないのは、困難をもたらしているのはイエス様であるということです。
ですから、その困難の中でわたしたちはイエス様の権威を認め、みことばを聞かなければならないということを思いました。

次に攻撃してくる彼らにイエス様は「葡萄園の農夫たちが、葡萄園の主人の息子を殺した喩え話」と、「家を建てる者たちの見捨てた石の話」を詩篇からされました。

葡萄の農夫の喩え話は、葡萄はイスラエルの民、農夫たちの所に遣わされたしもべは預言者たち、最後に遣わされて殺された葡萄の主人の息子はイエス様、殺したのはイスラエルの指導者たち、葡萄園を与えてもらった他の人たちとは異邦人の人。と分かりやすかったので、彼らは大変怒りました。

そして、詩篇の「見捨てた石」からイエス様は、
ルカ20:18
「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」
と、おっしゃいました。

捨てられた石はイエス様。
イエス.キリストのあれわみと恵みを受け入れないのなら、粉みじんになり、暗やみと投げ込まれるということをおっしゃいました。

それが詩篇118:22からだと律法学者と祭司長にはすぐわかりました。
「家を建てる者たちの捨てた石。
それが礎の石になった。」

どちらにしろわたしたちはこっぱみじんになるのですが、自分の罪に気付き、こっぱみじんになり、イエス様に救いを求めた者を神様は憐れみ救ってくださるのです。

詩篇51:17に、
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげずまれません。」とあります。

神様は砕かれた心を祝福し、どんな状態からでも回復させ、すべてのことを働かて益としてくださり、私たちを豊かに用いてくださるのだと信じたいと思います。
ここにわたしたちの希望があります。

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/31

エル.グレコ
「神殿を清めるキリスト」
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by yuuchinpuutan | 2017-10-31 19:36

ロバの子

彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか」と彼らに言った。
弟子たちは、「主がお入用なのです」と言った。
ルカ19:33~34

聖書通読ルカ29~48

過ぎ越しのいけにえとなるために、イエス様がエルサレムに入城される時が来ました。
わたしたちの罪の身代わりになって十字架にかけられるためです。

その時、イエス様のエルサレム入城に用いられたのは「ろばの子」でした。
イエス様は言われました。
30節「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。」

まだ誰も乗ったことのないとは、まだ子供のロバで小さく人を乗せるにはまだ早いように見えるロバだったのでしょう。

しかし、罪の無い神の御子イエス様には誰も乗ったことの無い子ロバがふさわしいのです。

そして、イエス様は何故そんな小さく弱々しい「ろばの子」を用いたのでしょうか?
イエス様はその小さな弱い「ろばの子」を通して、平和をもたらすのは、力では無く謙遜であるとわたしたちに教えてくださっています。

それから「ろばの子」を通してイエス様は、小さく弱く、重荷を負ったら走れない。自分の未熟さばかりに目が行き、人の大きさと自分を比べてばかりいるわたしたちを励ましておられます。

だから、イエス様が一緒にいてくださるからわたしたちは歩けます。
神様のために働くことができます。

「主がお入用なのです」とわたしたちは召されましたから、神様の御言葉が成就するために働く者となりますように。

ゼカリヤ9:9
「 シオンの娘よ。大いに喜べ。  エルサレムの娘よ。喜び叫べ。  見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、 柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/30

シャルル.ル.ブラン「キリストのエルサレム入城」
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by yuuchinpuutan | 2017-10-31 19:34