お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

2017年 11月 03日 ( 4 )

ミートスパゲッティー

パンダレストラン

パンダの好きなミートスパゲッティー😆💕✨

ミートスパゲッティーとナポリタンは昔からあるよねー。慣れ親しんだ味。

だけど、デートの時は食べないほうがよいかもよ。

口の周りが汚れるからね。

あははは〜〜🤣
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by yuuchinpuutan | 2017-11-03 12:39
本日となりました。

クリスチャンでない方々がたくさんいらっしゃいます。
サムエルが神様から力をいただいて会場の皆様の心に響く歌を届けることができますように。
お祈りよろしくお願いいたします。😌✨

🔴東北あさのことばコンサート
11月3日(金)
Liveゲスト サムエル
メッセージ 國安 光
14:00開演 (13:30開場)
16:00閉演
参加費 無料

会場 日本キリスト改革派
仙台カナン教会
〒982-0804 仙台市太白区鈎取1-3-25
電話/FAX 022-245-4960
メール s.kanan1325@gmail.com
牧師 國安 光
ホームページ http://sendai-canaan.org/

主催:RCJ(日本キリスト改革派教会大会メディア局)メディア・ミニストリー
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by yuuchinpuutan | 2017-11-03 12:08

見せかけの信仰

「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。
また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
(ルカ20:46~47)

聖書通読 ルカ20:40~21~4

 当時のユダヤ人社会では、律法を守り行うことによって、神さまに認められ、救われると信じられていました。
ですから、その律法を研究し、人々に教える律法学者は、ユダヤ人社会では最も尊敬される存在でした。
 
そのような社会の中で律法学者は人々の尊敬が快く感じるようになってしまったのでしょう。
人の尊敬と評価を求めて生きる者となってしまいました。

さらに、その尊敬に、律法学者たちは傲慢になり、さらに、自分たちの地位によって得られる利益を愛し、その利益を得るために貧しい人をだますこともあったのでした。

ここから教えられたこと。

人間は人から尊敬されると、自然と仕事の依頼も増え、収入も増えます。
それは悪いことではありませんが、気を付けなければならないことは、仕事を忠実にするより、見かけにこだわり、お金が大事になってしまうということです。
そのことを思うと、わたしたちの信仰も見せかけになってしまうことがあると思います。

あなたの祈りはすばらしい。奉仕もしている。多くの献金をしている。
そんな評価にいつの間にか傲慢になり、それによって人を動かすような存在になってしまったら、この律法学者と同じになってしまいます。

さらに、その尊敬を利用して、人を騙し不正な利益を得るようになってしまったら、神様はその人を罰するでしょう。

神さまへの真実があってこその信仰なのに、他人の目を気にする信仰、見せかけの信仰を、イエス様は、「律法学者」の姿を取り上げながら、現代の弟子であるわたしたちに注意していらっしゃいます。

わたしたちが今いただいているものは小さなものかもしれませんが、それを惜しみなく神様に捧げた時、報いてくださいます。

何故ならば、わたしたちは、自分のものではなく、神様のものだからです。

ローマ12:1
 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/3
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by yuuchinpuutan | 2017-11-03 07:43

生きている者の神

神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」
(ルカ20:38)

聖書通読 ルカ20:27~47

わたしたちは死んだらどうなるかということを考えます。
そして、そのことはわたしたちを不安な思いにします。

しかし、すべての人を生かす神の愛を信じるわたしたちは、死んだらどうなるかと不安になることはないのです。

何故ならばイエス様の蘇りの命が、死の壁を打ち破りわたしたちの命を支えるからです。

わたしたちはそのことを信じるだけです。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と信じるだけです。

生きている者、それはわたしたちです。
わたしたちがこのことを信じないで、地上の生活が全てだと思っていたら、神以外の誰かによって、わたしは生きるということになるでしょう。

わたしが「この夫がいるから、この子がいるからわたしは生きていける」と思って今を生きていたら、その人が先に死んでしまうとショックで倒れてしまうでしょう。

しかし、クリスチャンは天国に行ったら、愛した人に会えると信じています。
それは地上にのこされたわたしたちの希望でもあります。

しかし、そこにだけ希望を置くのではなく「すべての人は、神によって生きる」。神こそ、あなたの父であるから、そのことを忘れることなく、この地上で父のもとに帰ることを希望としなさいとイエス様はここで言われているのだと思います。

ところで、地上にあっては、同じクリスチャンでも、嫌いな人、うまくいかない人がわたしたちにはいるでしょう。

「先に死んで天国に行ったであろうあの人と天国に行ってまで会いたくない。」と考えることもわたしたちにはあるでしょう。
しかし、そんなことを思ったら天国に希望はありません。

ですから、イエス様のおっしゃった、「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」というお言葉を信じたいと思います。

こんな話を読んで心に平安がありました。

「 ある若い女性が交通事故にあって、右腕を失うほどの重傷を負った。手術室に運び込まれた彼女は、麻酔を打たれる前に傷ついた腕に言った。
「料理をし、洋服を造り、ノートを取り、手紙を書き、テニスをしてくれた腕よ。私を助けつづけてきた腕よさようなら。復活の時には、再び私のもとにもどってくる腕よ、しばしのお別れね」

大切な人、大切だったものと別れるときも、このような気持ちで地上の生活をおくる者となりますように。

ヨハネ11:25〜26
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/2

ジョルジュ・ルオー「十字架のキリスト」
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by yuuchinpuutan | 2017-11-03 07:41