お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

2017年 11月 15日 ( 3 )

言ってはいけない言葉

今朝、10年前に書いたブログをたまたま読んだんだけど、その当時のことがよみがえってきましたよ。

「あぁのぉねぇwww    なにさ!!!!

今朝テレビで、また、歯科医師の次男が妹を殺した事件を取り上げた番組をやっていましたよ。事件後、多くの報道によって、この家族の実態や兄と妹の過去現在がどんどん明らかにされていますね。それを評論家や犯罪心理学を研究している人たちが、いろいろ話しているわけだけれど、「うんうん。」とうなずくことや、「なるほど〜」と思うこともありますねぇ。

しかし、「言ってはいけない。言葉の危険性」をテーマにしていた今日の番組の中で、一人の評論家のおっちゃんが、「男性は自尊心を傷付けられた時、女性は別れ話の時が危険だ」と言っていることに、
「ちょちょちょっと待ったぁwwwそんな簡単に男、女って言っちゃって、そんなうすっぺらな事、電波にのせて朝のお茶の間に届けるんじゃぁないよぉぉぉwwww。」とパンダは思ったわけです。そんなおっちゃんにも番組出演料だすのねぇ。ごくろうさま。

まぁね、パンダはうすっぺらなおばちゃん評論家にはなりたくないから、っていうかボロが出ちゃうからあんまり言えないけど、結果的にこの妹は取り返しのつかない一言を言ってしまいましたね。「お兄ちゃんは勉強が出来ないから夢が持てない。」と言ったんですよねぇ。

『言ってはいけない言葉』  人はみんな自分の弱いとこ、だめなとこ知っているんですよ。そこで苦しんでいるわけですから。つまり、『負い目』ですよね。『本当のこと』です。
そこを突かれると、人は言った人を憎んでしまうんですよね。

「給料が安い」と言った妻の一言。息子に「仕事もしないで。。」と言った母親の一言が惨事を招いてしまった。多くの『言ってはいけない言葉』による事件です。

なんだかねぇ〜家族ってとことん言っちゃうことあるから難しいですねぇ。
立派になって欲しいとか、元気になって欲しいとか思っているのに、いらだちを感じ、ひどい事を言ってしまったりするわけなんですよ。
「琴線に触れる言葉」を家族にかけるのは難しい〜。

そんな、こんな感じのことを思ったわたしは、そのあと、子パンダに意見を言う時、いつもよりかなり気を使った言い方で話したら、あちらも同じような言い方をしてきましたよぉ。
『子パンダ、おぬしもなかなかやるな。。』と心の中でニタリとしたわけですが、まぁ、そのうちいつものようにお互い自分のいい分をワイワイ言いながら、わたしは洗濯物を干し、子パンダは出かける支度をしていたのですが、子パンダはわたしに「フードなおして!」「玄関まで見送って!」と言うのです〜。
『ぬぁにぃ〜〜?ここでそれを言うかぁ???』呆れぇ〜〜。

「立派な事言ってんだから、全部自分でやってよ!  見送りさせないでよ!!」って言いながら見送りましたよ。弱!!
子パンダ、ニッコリ笑顔で「じゃぁに〜〜」って自転車コギコギ行きました。なんだかね?

聖書の箴言っていうところに、
「自分の口を見張る者は自分の命を守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」
ってあるんですよ。
理性を持って言葉を口にすることが大切ですねぇ。人の心を殺すような事は言ってはなりませんよね。わたしも大いに気を付けます。 はい。
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by yuuchinpuutan | 2017-11-15 06:52

エマオの途上

彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

(ルカ24:30~32)

聖書通読 ルカ24:13~32

 イエス様が十字架に架かり亡くなった話はエルサレムの至るところに広まりました。
ユダヤの民はイエス様が敵から守って下さる軍事的なメシヤと信じていたので、民の失望は大変なものでした。

そんな失望の中、エマオに帰る途中の二人の信者は、イエス様が彼らのそばを歩き、話しかけておられるのに、彼らはその人がイエス様であるとわかりませんでした。

イエス様は、ルカ24:27で、
「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」とあります。

イエス様のお話を聞く二人の心は燃えました。
そして、イエス様を宿にお誘いし、食事をする時になって、
ルカ24:30~31
「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。」
とあります。

ここから考えたこと。

わたしたちはクリスチャンであっても試練には弱いです。
うまく行っている時は「神様のおかげです!」と感謝しますが、試練がやってくると、「神様、何故わたしがこんな目に合うのですか?」と神様に失望したり、砕かれた希望、挫折した計画の前に倒れこむ弱い信者です。
そんな時、わたしたちはイエス様のお姿が見えなくなる時があります。

クリスチャンは神様の御言葉を聖書を読み学んでいますが、現実の試練の前では学びだけでは試練を乗り越える力を発揮してくれません。

その学びを理解から信頼へと導いてくださるお方がイエス様です。
イエス様が聖書を解き明かしてくださるよう、願い求めるわたしたちでありますように。

その中で、わたしたちは喜びも試練もすべてのことが神様の権威の中で行われるということを理解し、神様への信頼へと導かれることでしょう。

詩篇23篇

「主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/15

obert Zünd, 「エマオへの道」 1877
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by yuuchinpuutan | 2017-11-15 06:37

ビーフシチュー

今夜はビーフしちゅー。

あったまるし、美味しいよ。
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by yuuchinpuutan | 2017-11-15 06:35