お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

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相模原一致祈祷会

「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
(ルカ5:10~11)

昨日は相模原市の教会の教派を超えた一致祈祷会が御園バプテスト教会で行われました。
相模原市の人口は72万だそうで、そのなかにある教会は54教会。
全部の教会の牧師、信徒代表が集まることはできませんが、教派を超えて共に賛美して、メッセージを聞いて、祈り、お交わりの時を持ちました。

今年は丸山先生が代表なので当教会が会場となりました。その教会のスタイルで、賛美も聖餐式も行われますが、賛美は教会の学生賛美チーム「sanbi de ナイトチーム」がリードしました。

わたしは会場が自分が席を置く教会ということで、聖餐式のご奉仕で初めて参加させていただきましたが、一致祈祷会のために多くの祈りがあったのでしょうか、わたしは準備の奉仕をさせて頂く時から、その奉仕の中でも気付かされることがあり大変感謝でした。

メッセージは津久井キリスト栄光教会牧師後藤光男先生。「人間を捕る漁師の条件」をテーマにメッセージなさいました。

御言葉を語るのは牧師だけでは無い、人間を捕る漁師となって、時が良くても悪くても御言葉を語り続けなさい。御言葉を語る人に主は聖霊によって無限に力を下さる。その労苦は主にあって決して無駄にはなりません。

主の力を受けた時、わたしたちは喜びに満たされます。
主を喜ぶことは力!
人間を捕る漁師になりましょう。魚から飛びこんできます。

そんなメッセージでした。

このわたしの置かれた地で、わたしに何が不足していたのか気付かされました。

また、兄弟姉妹の連携プレーによってこの一致祈祷会の会場になったという責任を通し、一人一人が主にあって一生懸命であるのを見てたいへん恵まれました。

教会の中の信徒の一致、教会が教派を超えて一致したとき、主の働きはさらに強まり、わたしたちの宣教の働きも強まります。

2017年1月18日から25日は、キリスト教一致祈祷週間でした。各地で一致のために祈祷集会が持たれたことと思います。
わたしたちの神様との「和解」は、キリストの贖いによる以外ありません。

イエス・キリストはお一人なので、各教派に分裂するのではなく、キリストにあって一つであるということ。そのことを目指すというのがこの働きの目的です。

わたしは聖餐式のご奉仕をさせていただきましたが、あるお方が言っておられることを通して「一致」の大切さを教えていただきました。

「パンは、麦から作られます。麦の実は小さく、たくさんの実によって一つのパンが造られます。
葡萄酒は、ブドウから作られます。葡萄の実は小さく、たくさんの実によって一本の葡萄酒となります。
イエス様が制定された聖餐は、私たちを一つへと促すものです。一致して、一つとなって、主の委託に応えていきましょう。」

アーメン!

第1コリント1:10

「 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」

第1ペテロ3:8
 「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 1/30
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 06:07

摂理

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
(ローマ11:33~36)

きのうは「摂理」というテーマでメッセージを聞きました。
摂理はキリスト教用語で、「神の摂理」となるようで、信仰生活のなかに「神を感じた。神の意志を感じた。」ということでしょうか。

わたしはクリスチャンになってから、自然と運命とか宿命とか言わなくなったような気がします。その変わりに「神の摂理」を信じるようになりました。
神の摂理を信じて、どのような現実の中にあっても、希望を持って生きたいと思うように変えられたのでしょう。

その希望が聖書の御言葉です。
聖書は人生に光を与え、希望を与える書であり、平安な人生のあることを約束してくれます。
「運命」「宿命」とか『諦めなさい』と言われているようなものではなく、
「神の摂理の中に置かれている。」ということは、創造者である愛の神様が、私たちの人生を導いてくださり、すべてを益となるように働いてくださるということでしょう。

ローマ8:28
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

この御言葉の中に「神の摂理」があると思います。
この御言葉を信じて生きる時に、どんな時も希望をもって生きることができ、人生に絶望するというはありません。
 わたしたちは愚かさからいろいろな失敗をします。にもかかわらず、神様を信じる者には脱出の道に導き、人間の思いを超えた恵をくださいます。

また、たとえ今すぐでなくても導いておられることを信じる信仰によって平安を下さいます。

そこには「運命」「宿命」という言葉から来るマイナスのイメージではありません。

日常のどんな小さな出来事の背後にも神の摂理のあることを覚えて、希望を持って歩みたいと思います。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017. 1/29
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:35

心を尽くす

心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言3:5~6)

今週に入り箴言を読んでいます。

日常色々起こる中で多い問題は人間関係で、そのことが心を明るくしたり暗くしたりします

そんな時わたしたちは自分の中にある罪に目を向けて、それに打ち勝つ知恵を神様からいただかなければなりません。
箴言から学び、日々の生活を、すこしでも敬虔に生きられればと思います。

きょうは三章。
今朝、聖書を開く前にお祈りをしていたら 「神様。〜〜してください。」というお祈りが多いことに気がつきました。
そうお祈りするのは主に期待することですから、もちろん良いと思いますが、今日のわたしは、
受胎告知を受けたマリヤのように、
ルカ1:38
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

と、祈れる者でありたいと思いました。
あなたの計画がこの身になりますようにと、困難が予想される中にあっても、その結果が今は不幸に思えることでも、それを受けようと思いました。

今ある問題の只中で、わたしは人を責めたり、不平を言ったり、嘆くことよりも、その只中で働く主を認めようと思いました。

そうは言っても、人から嫌なことを聞かされれば、腹が立つし、言い返したくなりますが、そんな時こそ主を見上げ祈ろうと思いました。

祈りを持って、今のこの状況に素直に従った時、予想もしなかった恵がいただけることを信じます。期待します。

詩篇37:3~5

主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017. 1/28
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:32

ありがと。

金曜日はS.O.S.パンダの片腕、愛喜ちゃんのお誕生日でした。

お誕生日おめでとう!㊗️🎉
いつもありがとう✨💕

この一年も神様からの祝福をたくさんいただいて良い歳になりますように。✨✨✨
🐼🎈
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:30

試練

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
(第1コリント10:13)

試練はすべての人にあります。わたしだけが苦しいのではありません。

今日寝るところがあることを、今日食べものがあることを感謝します。

今やるべきことは、苦しくてこの状況を受け入れることです。

栄光の御座に着いて居られるイエス様のところに行くことを希望として、間違った道を行かないように御言葉を灯りとして歩ませてください。

主はきっとその道々に 助け人を送ってくださり、わたしたちに脱出の道を示してくださるでしょう。

今は神様のご栄光を現すための試練を受け入れ、ただ信じ進むのみ。

第1コリント1:9
「神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」

第1コリント10:31
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

2017. 1/27
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:23

心配しない

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)

わたしはオードリーヘップバーンがすきです。美しさ可愛らしさ、そして人を愛する優しさは後半生のほとんどを、国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げました。
プロテスタントのクリスチャンだということですが、それを実証するような彼女の言った有名な言葉があります。

「どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。ありのままの一日。ありのままの人々。

過去は、現在に感謝すべきだということを、わたしに教えてくれたような気がします。

未来を心配してばかりいたら、現在を思うさま楽しむゆとりが奪われてしまうわ。」

これはわたしがいつも自分に言っていることで、人にもよく言うことだったので、このオードリーヘップバーンの言葉を読んだ時、大変うれしかったです。

神様がくださった今を、先に起こるかどうか分からないことで不安になっては、今を感謝して楽しめなくなってしまいます。

たとえば、災害に備えることは大切ですから、わたしたちはその時の準備をしますが、その準備は災害に対する不安を解消してくれるわけではありません。

大切なのは、その時に自分がクリスチャンとして、それをどう受け止めるかだと思っています。

そのために何があってもキリストの道から外れることが無いようにいつも主を見上げることが大事であると思います。

ヨハネ14:6
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

箴言2:20に
「だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。」

とあります。これは、どんな時も身も心もきよく生きなさい。何があろうと正しい道からそれてはいけません。
それを行う人は、今日という日を感謝して、ぞんぶん楽しめますということではないでしょうか。

 
「身も心も清く生きる」にはどうしたらよいかというと、自分に負荷をかけない生き方をするのが大事だとおもいます。不安、怒り、恨み、憎しみ、ねたみなど自分に負荷がかかる悪い感情はイエス様の十字架に持って行き、自分を軽くしましょう。

イエスさまはわたしたちが幸福になることを望んでおられますから、かならず受け取ってくださいます。

身を軽くしたら、その喜びを「人とともに楽しむ」ことが大切だと思います。

人の悩み、重荷を思いやって、共にまた十字架に持っていく手助けが出来る人になれたらどんなにか楽しい人生でしょう。

人とともに楽しむ今日でありますように。

今日は教会で証会があります。みなさんの証からまた励ましがいただけますように。

今日一日も主に期待して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017. 1/26
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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:21

励まし合い

このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。

(第1テサロニケ3:7)

昨日はある方の「試練と信仰」によって大変励まされました。

わたしは自分を幸せな人間だと思います。クリスチャンになってからたくさんの方々と出会い、たくさんの証を聞いて、たくさん励まされてきました。

「ドラマのような人生」という言葉がありますが、キリスト者の人生は皆さん「ドラマのような人生」です。

そして、今は皆さんがキリストに会って喜んでいらっしゃる。

それだけでなく、同じような苦しみの中にいる人を助けようと共に祈ってくれる。

そうして、わたしたちは互いに励まし合います。

「わたしの苦しみなんか誰も分かっちゃくれない」ではなく、神様は分かってくれる人を必ずわたしたちの側に導いてくださるのです。

第1ペテロ1:22

 「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。」

兄弟姉妹の愛によって、祈りによって励まされることを主に感謝します。

キリスト者は試練から「ドラマのような人生」を歩んでも、そこで終わらず、救われた証は人を励まし、救いに導くことでしょう。

第1ペテロ1:6「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」

わたしたちも、他の人々を励ますことによって、自分も励まされます。

お互いの励まし合いの中で感謝すべきことを見つけて、お互いを支え合います。そして喜びあいます。

第1テサロニケ5:11

 「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」 

また、わたしたちのもとに導かれた「新しき人」を励ましましょう。

その人はわたしたちへの「神様の選びの人」であるからです。

もし、その人が苦しみのどん底で将来に希望を持っていなかったら、  

エレミヤ29:11

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

この神様の励ましを知らせましょう。

今日も主によって導かれる出会いに期待して、救い主イエス.キリストの皆によってお祈りいたします。

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by yuuchinpuutan | 2017-01-30 03:19

絶望と希望は神一重

ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
(使徒27:25)

わたしは使徒の働き27章が好きです。

使徒パウロは福音宣教をしているときに、ローマに行かなければいけないと心に決めていましたが、ローマへ行く前にエルサレムで囚人として捉えられてしまい、2年以上経っていましたけれど、裁判を受けるために、ようやくローマに行くことができるようになりました。
もちろん、パウロは囚人としてローマに行くとは思っていなかったことでしょう。百人隊長ユリアスに率いられて、船に乗りました。

また、船に乗ってからが大変でした。嵐にあう危険性のある季節であったことを経験から知っていたパウロは出航を止めましたが、聞き入れてもらえず、結局船は出航し嵐にあい大変なことになります。

 パウロの言ったとおり、彼らの生命がおびやかされ助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた時、人間の努力は尽き果てて、絶望的になりましたが、まさにこのとき、パウロを通して神が希望となってくださり、船に乗っていた人たちは全員命を落とさずローマに上陸したというお話です。

何故わたしがここが好きかというと、まさにわたしたちの人生をここにみるからです。

主のご計画と信じる者を主は励ましてくださり、どんな荒波の中にあっても最後は救ってくださるということです。

荒波の中では、助かるために手放さなければならないものもあります。
我慢する時も、また、与えられる時もあります。

「絶望と希望は紙一重」という言葉がありますが、これは天と地ほど違いますけれど、人それぞれ心の状態によって変わるという意味でしょう。
試練に負けず元気をだせば、絶望の後には希望が見えてくるということでしょう。
「あーもうだめだ!自分には何も出来ない。家族や友人からも世の中からも見放された!」と感じた時、「もはや神に祈るばかりだ」と人は言うでしょう。
それは絶望の言葉となるか、希望の言葉となるか。そこで、「神などいない!」という人にとっては絶望の言葉であり、「わたしは神を信じています!」と言える人には希望の言葉となるでしょう。

「絶望と希望は神一重」という方がおられましたが、わたしは座布団10枚さしあげたいです。

 使徒の働き27章のパウロは、願っていたローマへの道は2年もの投獄という試練を通して開かれ、乗った船では命を失うようなめにあいましたが、嵐の中でたくさんの人をはげまし、そこにいた人たちは神様の働きを経験しました。

そして、助かった人々はその経験をローマにおいて語ることで福音は広く広がったのでした。

つまり、わたしたちの願うことにまるで反対するかのように押し迫ってくる出来事や状況は、実は神様が起こしてくださっているのです。

エペソ3:20に、神様は
「 私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方」とあります。

ここにわたしたちの「希望」があります。

今、試練という嵐の中におられる方々が、神様が送って下さった主イエス.キリストの差し出してくださる、「救いの御手」を握りしめることができますように。

イザヤ55:9
「 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、 わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017. 1/24
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by yuuchinpuutan | 2017-01-24 06:59

ボス天国に行って7年。


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もう7年も経ってしまいました。今日は親愛なる鳥居兄、愛称ボスの昇天記念日です。

2010年 1月23日

寒い朝。
仕事で大島へ向かう途中、熱海のバス停で心筋梗塞で倒れ、突然召されました。
その時、手にしっかり握っていたのは、わたしの主人の書いた仕事現場の電話番号を書いたメモでした。

それで身元がすぐわかり、牧師の丸山先生と主人は熱海に向かったのでした。

1月23日の7年前の朝の突然の出来事。

まるで昨日の事のよう。。。

日曜の午後は毎週一緒に教会学校の生徒たちと賛美していたボス。
わたしはボーカルでした。
楽しかったなぁ。
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オヤジバンドもやりました。
パパと仲良しでよく我が家で宴会してましたよ。

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天国で会えるけど、やっぱりまだ一緒にいてほしかった。

by yuuchinpuutan | 2017-01-23 20:01

計画

しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、 わざわいを恐れることもなく、安らかである。」
(箴言1:33)

真に主を信じる者は、災いに合わないのではなく、災いを恐れることがなく、災いがやってきても、そこに働かれる主に期待できる人であると思います。

C・S・ルイス(英国の学者・作家・キリスト教弁証家)は、
「何らかの祝福を失うとき、それに取って代わる祝福が、多くの場合、全く予期せぬ形で与えられる。」
と、言っていますが、このことを日々の生活の中で経験されさせていただけていることを感謝します。

箴言19:21「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」

わたしたちには、「こうなってほしい」という夢や希望がありますが、それが叶わない時、むしろ叶わないどころか、もっとひどい状態になった時には神に失望したり絶望したりします。

しかし、考えてみると、ほとんどの人が現在かかわっている仕事、人々との出会いなど、自分がかつて考えた通りになっている人はいません。
しかし、むしろその中で起こる試練も神様はわたしたちには予期せぬ出来事によって恵に変えてくださっています。

その1番大きな恵が「救い」です。
わたしたちの救われた証です。
同じ証は無く、一人一人の尊い証の中に主のご計画を見て、主の栄光、勝利、力を褒め称えます。

わたしたちはひとりよがりの計画の前に身を滅ぼす事なく、神様のご計画に期待し、感謝して受け止め、平安をいただくものでありますように。

詩篇25:12
主を恐れる人は、だれか。
主はその人に選ぶべき道を教えられる。
その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。

主はご自身を恐れる者と親しくされ、
ご自身の契約を彼らにお知らせになる。

私の目はいつも主に向かう。
主が私の足を網から引き出してくださるから。」

アーメン!

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017. 1/23
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by yuuchinpuutan | 2017-01-23 06:44