お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

<   2017年 09月 ( 56 )   > この月の画像一覧

日本三大うどん

パンダ亭。
本日は、タヌキうどーん。

いただきものです。

日本三大うどんの一つ。

宮内庁御用達なのだ!

高貴な🐼にぴったし?
d0100239_07512477.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-30 07:50

良い地に撒かれた種

しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。
(ルカ8:15)

聖書通読 ルカ8:1~21

有名な種まきのたとえ話。
イエス様はよくたとえ話で、神様の国のことを語られました。

分かりやすいようですが、やはり聞 く人の姿勢です。
群衆はこの世における政治的指導者を望んでいたので、イエス様は自分たちの想像していた救い主ではありませんでした。
ですから、イエス様のたとえ話もよくわからなったと思います。

イエス様のこのたとえ話は、語られたこの時から、今のわたしたちの宣教に対する反応をはっきりと語られました。

「正しい良い心」とは、神様を信じお祈りをし御言葉を聞こうとする人のことでしょう。

その人は御言葉に聞き従う努力をし、試練からも良い実を結ぶ人です。

ヤコブ1:22~25
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。
自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。
ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」

わたしたちは自分の顔を鏡で見ます。しかし、その場を離れると、生活の中でその顔を直ぐに忘れてしまったような感じで生きています。

同様に、御言葉を聞いても、その御言葉を生活の中で直ぐに忘れ、御言葉とは関係なしに歩んでしまうようなわたしたちですから、いつもわたしたちの心に、主が御言葉の種を蒔き、主が成長させてくださいますように。

また、イエス様は明かりを燭台の上に置くことをたとえ話の中で話されました。

イエス様の真理の光を受けたわたしたちは、その光を持って他の人々を照らさなければなりません。
自分の足元だけでなく、広く照らさなければなりません。

ルカ8:18
「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」

わたしたちは壊れやすい土の器ですが、神様の御手で包んでいただき、宝をそこに入れて、人々のために使い、また、神様に宝を入れていただける者となりますように。

第2コリント4:7~10
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 9/29

ミレーの絵画「種まく人」
d0100239_06324286.png

by yuuchinpuutan | 2017-09-29 06:32
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
(ルカ7:37~38)

聖書通読ルカ7:36~50

ここでイエス様は、ご自分に愛の限りを尽くした罪深い女性と、イエス様を食事に招いたパリサイ人シモンの信仰をたとえ話で対比なさいました。

パリサイ人シモンは、きよめのしきたりを重んじるユダヤ教徒でしたが、イエス様に対しては、自分から食事に招いておきながら、通常のおもてなしすらしませんでした。

しかし、突然食事の場にはいって来た女性は、イエス様の御足を涙で濡らし、その涙を自分の髪の毛でぬぐい、御足に口づけをして、香油をぬりました。

その様子を見ていたシモンのことを、ルカ7:39には、
『イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」と心ひそかに思っていた。』
と、あります。

そこでイエス様はシモンの心を見抜き、金貸からお金を借りて返すことができなかった2人の人のたとえ話をされました。

多く赦されたものは、赦してくれた人を多く愛しますが、少ししか赦されない者は少ししか愛しません。
というお話でした。

そして、イエス様はシモンに「あなたがしてくれなかった通常のもてなしを、多く赦され多くわたしを愛しているこの女が、あなたの代わりにしてくれたのだ。」とおっしゃいました。

ここで学ぶこと。

神様は律法学者のような知識や行いをご覧になるのではなく、罪赦されたことを心から感謝し、神様を愛する信仰を多く祝福してくださいます。

この女性のようにイエス様に愛のかぎりを尽くすことは赦しへの応答です。

わたしたちの奉仕も、人の目や評価を気にしながら神様に仕えたり、人に言われたからするといえのでは無く、神様への感謝から出てくる心からの行いとなり、自ら進んで静かに黙々と主に仕えていくことが出来ますように。

ヨハネ15:9~10

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 9/28
d0100239_06312618.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-29 06:30

黒柿

みなさま。聞いてくだされ。

スーパーで特売していた立派な柿。

切ってみたら!
中が真っ黒!!

ギョエー😱 腐ってる??

しかし、このような時、わたしは自分の味覚を信頼する。

パクッ!😮

パパちゃん、
👞「やめとけ!やめとけ!」
🐼「大丈夫だよ。」

👞「俺はしばらくしてから食べる。。」

🐼「なんで??」

👞「君の様子を見てから。。。

救急車で運ばれたりしてなぁ〜〜😅」

🐼「はぁ?ひどくない?😅」

それでも食べるわたし。パクパク。

今のところ。。なんともない。。

パパちゃん、ちょこっと食べて、
👞「やっぱ。いいわ!俺のタイプじゃない。」

柿にタイプがあるんかぃ?!!」

和歌山の「黒甘柿」だった!
d0100239_22153628.png

by yuuchinpuutan | 2017-09-27 22:14

神学生

昨日は聖契神学校を間も無く卒業なさり、牧師になられる方々で、丸山悟司先生の教会史の授業を取っていらっしゃる生徒さんが教会にいらしてお食事会がありました。

パンダ、お料理を持って参加。🐼🥙🥘

昼食後は中澤啓介先生(大野キリスト教会牧師)のお話をお聞きして、色々気付いたり、考えたりする事が出来て、かなり脳みそにガツンと刺激をいただきました。

先生がお書きになられた「被造物管理の神学」「N.Tライトの神学」をいただきました。
難しいので、少しづつ読んで学ばせていただこうと思っています。✨✨✨

d0100239_15103815.jpg

d0100239_15105808.jpg

d0100239_15113452.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-27 15:09

パリサイ人

『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。 弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』
(ルカ7:32)

聖書通読 ルカ7:18~35

イエス様は宗教指導者のパリサイ人、律法学者に向けて、あなた方はこのような者たちですと、おっしゃいました。

彼らは旧約を学び、神様のことを人々に伝える人たちでしたが、彼らは真の神の御子イエス様が目の前にいらっしゃるのに、自分たちの教えを正当化することで一生懸命だったので、神様のみこころを拒むことになりました。

そして、パプテスマのヨハネとイエス様の粗探しばかりしました。
それもそのつど自分たちの知恵を正当化するのが上手でした。

ルカ7:33~34
「というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。」

この箇所から学んだこと。

自分の意見を持っている人、よく学んでいる人ほど、自分の考えは正しいと、それを押し通そうとする傾向があります。

わたしは子供のころから口達者で、そのことで得することも損することもありました。
そんなわたしが、高校の時、議論した友人に「結局あなたには言いくるめられてしまう。」と言われ、大きなショックをうけたことがありました。

しかし、そうはっきり言われたことは、わたしにとって大変よかったことでした。
それから人間関係の中で気をつけるようになりましたが、ともするとそのような性格がまた頭をもたげます。
そのように罪の性質、傲慢さから失言をするような愚かな者ですが、イエス様がそんなわたしの身代わりになって十字架上で罰を受けてくださって、わたしが天国に行けるようにして下さったことを心から感謝します。

その愛に応えるために、自分の過ちに気付いたら、神様の前に人の前に勇気と謙遜をもって悔い改める者とされますように。
ヨハネ14:6
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

今日もみ言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 9/27
d0100239_07025675.png

by yuuchinpuutan | 2017-09-27 07:02

ゴミ出し

みなさま。聞いてくだされぇー。👂

朝のゴミ出しの時の話。

🐼「パパ。この格好、寝起きって感じでおかしくない?」

👞「いや。全然。
いったい誰が見るんだよ。」

🐼「ちまたの人々。」

ゴミ出し完了して。

🐼「パパ、聞いてよ!
今さ、何年も会っていなかった野尻さんのご主人に会うし、たまにしか会わない隣の堀口さんに会ったよ!😱
それにゴミ捨場の横に交通整理するガードマンが立っていて、わたしのことジロジロ見たんだよ。😓」

👞「自分の服装気にしながら、😒💦挙動不審で歩いているから見られたんじゃないのか?」

🐼「そんなことないよ。せめて足元だけでも決めようと思い、玄関にあったよそ行きのハイヒール👠履いて堂々と歩いていたから。」

👞「それだよ。むしろおかしいだろ!」

🐼「たしかに。。。」

やっちゃったね。😅💦
d0100239_09204128.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-26 09:20

愛、哀れみ。

人々は恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がその民を顧みてくださった」などと言って、神をあがめた。
イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。
(ルカ7:16~17)

聖書通読ルカ7:1~17

この箇所には、イエス様が死にかけていた100人隊長のしもべを癒した話と、やもめの死んだ息子を生き返らせた話が書かれています。

この2つの出来事で、人々は神様が自分たちユダヤ人の救い主を、ついに送ってくださったと神様を崇めました。

そして、そのことはユダヤ全土と回りの地方一帯に広まったとあります。

この箇所から気付き感謝したこと。

ローマの百人隊長はユダヤ人にとって異邦人で、さらにユダヤ人はそのローマの支配下にあったので、互いに愛せる存在ではなかったと思いますが、この百人隊長はイエス様のことを救い主と信じてユダヤ人を愛し、会堂を建てその信仰をサポートしていました。
イエス様はその百人隊長の信仰と愛をご覧なりました。

そしてユダヤ人も異邦人の百人隊長のため一生懸命イエス様にお願いしています。
ルカ7:4
イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。」

この福音書を書いたルカは異邦人でした。
ユダヤ人長老たちと百人隊長の良い関係。そして異邦人にも注がれる愛、主の救いを強調したかったのでしょう。

それから、ユダヤ人のやもめの一人息子の葬式の列に出会ったイエス様は、そのやもめを可哀想に思い、死んだ息子をその場で生き返らせました。
死んだ人が生き返ったのですから、そこにいた人たちがイエス様を神様、救い主と信じるのは当然だったと思います。

このお話はわたしたちの死んでからの蘇り、救いを説明するものです。

しかし、ここには百人隊長のような、そのやもめの信仰の深さは書かれていないので、このやもめの信仰はわたしたちには分かりません。
しかし、イエス様は、
ルカ7:13
『主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。』

と、あります。
「かわいそうに思われた。」ここに神様の愛が現れていて心から感謝しました。

イエス様はすべての人を救うためにこの世にいらっしゃいました。

わたしたちは生きる場所も、抱えている問題も皆違いますが、イエス様はわたしたちの苦しみ痛みからも必ず救い出して下さると信じ、希望を持って生きる者とされますように。

エペソ2:4~5
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 9/26
d0100239_08301911.png

by yuuchinpuutan | 2017-09-26 08:29

ランチ

本日はここでランチでした。
何処でしょうか?

Samuelle事務局打ち合わせ。
d0100239_20593313.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-25 20:58

赦す

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。(ルカ6:37)

聖書通読ルカ6:27~49

わたしたちはよく人に対して批判的になります。そして、自分の犯した失敗には言い訳をしたり、隠そうとしたり、人のせいにしたり、なんとかそれを正当化しようとします。
これはまさに罪の性質でしょう。

イエス様もルカ6:41で、
「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。」
とおっしゃっています。
そして、そのようなわたしたちに、イエス様は「まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」と、おっしゃっています。

梁とちりではなんと大きさの違うことでしょう。
それほどわたしたちは自分に甘いのでしょうか。
自分の罪は見ないようにして、人の罪には目を皿のようにして見ています。

わたしたちは特に自分にいやなことをする人が大嫌いです。顔も見たくないし、そばに行きたくないし、その人のことを考えたくもないです。

しかし、イエス様はその人を愛しなさいとおっしゃいます。

また、わたしを憎む人がいたら、その人に善を行い、祈り、祝福しなさいとおっしゃいます。

そして、ルカ6:35で、イエス様は
「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」

ここで、イエス様はわたしたちが神様からの赦しを受けている者であるを明らかに示されました。

わたしたちがイエス様のように見返りを考えず一方的な愛を敵にしめすことができたら、御国において神様から充分な報いが返ってくることでしょう。

だから、わたしたちは他の人を愛し、憎むべきではないのです。

しかし、それが苦労無くできれば、わたしたちは、苦しむことが無いのです。
それにはイエス様を見習い、愛ある人間にかえていただきたいという、願い、祈りを持って、しっかりと意識を持って努力しなければなりません。

わたしは聖書の中でこのイエス様の山上の説教が大好きです。
ここにキリスト者の理想の姿を見て憧れるからです。
しかし、読んで満足して終わったのではいけません。そのことをいつも心に留めていこうと思います。

そこで今、心に浮かんだ御言葉です。

ヤコブ1:21~22
「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 9/25
d0100239_20531680.jpg

by yuuchinpuutan | 2017-09-25 20:52