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by yuuchinpuutan

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捨てられた石

イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』 と書いてあるのは、何のことでしょう。
(ルカ20:17)

聖書通読 ルカ20:1~19
 
イエス様は宮に入られてから、そこで商売をしていた人を追い出してから、民衆に福音を宣べ伝えておられましたが、祭司長、律法学者たちが、長老たちといっしょにイエスに立ち向かって、
「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」と攻撃してきました。

彼らは「自分たちがここを治めているのに、イエスは勝手なことをして、神殿の中に混乱をもたらしているとんでもない奴だ!」と思ったのでしょう。

この箇所から思ったこと。

わたしたちも、今の生活が無事に平和に思える中で、突然何かがその生活を壊しはじめたら、なんでこんな目にあわされるんだと、怒り、その原因となったことを攻撃することでしょう。

しかし、わたしたちクリスチャンが忘れてはならないのは、困難をもたらしているのはイエス様であるということです。
ですから、その困難の中でわたしたちはイエス様の権威を認め、みことばを聞かなければならないということを思いました。

次に攻撃してくる彼らにイエス様は「葡萄園の農夫たちが、葡萄園の主人の息子を殺した喩え話」と、「家を建てる者たちの見捨てた石の話」を詩篇からされました。

葡萄の農夫の喩え話は、葡萄はイスラエルの民、農夫たちの所に遣わされたしもべは預言者たち、最後に遣わされて殺された葡萄の主人の息子はイエス様、殺したのはイスラエルの指導者たち、葡萄園を与えてもらった他の人たちとは異邦人の人。と分かりやすかったので、彼らは大変怒りました。

そして、詩篇の「見捨てた石」からイエス様は、
ルカ20:18
「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」
と、おっしゃいました。

捨てられた石はイエス様。
イエス.キリストのあれわみと恵みを受け入れないのなら、粉みじんになり、暗やみと投げ込まれるということをおっしゃいました。

それが詩篇118:22からだと律法学者と祭司長にはすぐわかりました。
「家を建てる者たちの捨てた石。
それが礎の石になった。」

どちらにしろわたしたちはこっぱみじんになるのですが、自分の罪に気付き、こっぱみじんになり、イエス様に救いを求めた者を神様は憐れみ救ってくださるのです。

詩篇51:17に、
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげずまれません。」とあります。

神様は砕かれた心を祝福し、どんな状態からでも回復させ、すべてのことを働かて益としてくださり、私たちを豊かに用いてくださるのだと信じたいと思います。
ここにわたしたちの希望があります。

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/31

エル.グレコ
「神殿を清めるキリスト」
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by yuuchinpuutan | 2017-10-31 19:36

ロバの子

彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか」と彼らに言った。
弟子たちは、「主がお入用なのです」と言った。
ルカ19:33~34

聖書通読ルカ29~48

過ぎ越しのいけにえとなるために、イエス様がエルサレムに入城される時が来ました。
わたしたちの罪の身代わりになって十字架にかけられるためです。

その時、イエス様のエルサレム入城に用いられたのは「ろばの子」でした。
イエス様は言われました。
30節「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。」

まだ誰も乗ったことのないとは、まだ子供のロバで小さく人を乗せるにはまだ早いように見えるロバだったのでしょう。

しかし、罪の無い神の御子イエス様には誰も乗ったことの無い子ロバがふさわしいのです。

そして、イエス様は何故そんな小さく弱々しい「ろばの子」を用いたのでしょうか?
イエス様はその小さな弱い「ろばの子」を通して、平和をもたらすのは、力では無く謙遜であるとわたしたちに教えてくださっています。

それから「ろばの子」を通してイエス様は、小さく弱く、重荷を負ったら走れない。自分の未熟さばかりに目が行き、人の大きさと自分を比べてばかりいるわたしたちを励ましておられます。

だから、イエス様が一緒にいてくださるからわたしたちは歩けます。
神様のために働くことができます。

「主がお入用なのです」とわたしたちは召されましたから、神様の御言葉が成就するために働く者となりますように。

ゼカリヤ9:9
「 シオンの娘よ。大いに喜べ。  エルサレムの娘よ。喜び叫べ。  見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、 柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/30

シャルル.ル.ブラン「キリストのエルサレム入城」
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by yuuchinpuutan | 2017-10-31 19:34

御国では。

彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。
(ルカ19:26)

聖書通読 19:11~28

人々はイエス様にこの世の御国、ローマの圧政からの解放を期待していましたが、イエス様は10人のしもべの喩え話をされ、御国はすぐなるのではなく、しばらくイエス様はこの世にいなくなり、また、戻ってきて地上でのわたしたちの働きによって裁き、そして、御国を正式に開始されるということを話されました。

このお話はイエス様が天に昇られてから再臨なさるまで、わたしたちがこの世で何をすべきかを教えておられます。

わたしたちひとり一人はかならず神様からタラント、賜物を与えていただいていますから、その賜物を使って、いかにその賜物を有効に、神様のために、人のために使うかが問われています。

「持っているものはさらに与えられ」とはこの世で賜物を使い、せっせと天に宝を積んだ者は天においてさらに与えられ、神様に恨み言を言って、賜物をつかわず天に宝を積まなかった者は、御国に入るための切符さえも取り上げられるというお話でした。

今日の箇所で考えさせられたこと。

「わたしは神様がわたしに望んでおられる生き方をしているだろうか?わたしに与えてくださっている賜物は?
それを神様の栄光のために、人々の救いのために用いているだろうか?」
と、いうことでした。

昨日教会で世の中には「可哀想な人。孤独な人」がたくさんいるという話をしました。

わたしはその話をした後、教会の皆さんと賛美をしていたのですが、その中で神様から「あなたな孤独な人ために働きなさい。」と語られたように感じ、力が湧き上がってきました。

わたしの働きは小さなものだけれど、神様から与えていただいたチャンスを見逃さず、喜んでそのために働く者とされますように。

そうして、神様に「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だった。」と言っていただけますように。

第1ペテロ4:11
「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/29
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by yuuchinpuutan | 2017-10-29 06:32

ザアカイ

イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
(ルカ19:9)

聖書通読 19:1~10

取税人の頭、ザーカイの話。

取税人はイスラエルではもっとも嫌われている人たちでした。
ローマの下で働き、同胞からお金を余分に取立てて、自分を富ませていたからです。

「こんな人間は嫌われて当然!
地獄に行って当たり前。」と人々に思われても仕方ないことをしていました。

しかし、イエス様は木に登ってイエス様を見ていた取税人の頭、ザーカイに声をかけられました。
5節「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

ザアカイは急いで降りてきて、そして、大喜びでイエス様を迎え、罪を悔い改め、イエス様によってザーカイは救われました。

皆から嫌われていたザーカイ。
自分でも嫌われて当然と諦めてお金で自分を慰めていたザーカイが、イエス様の愛でこんなに変えられたのでした。

8節「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

そんなザーカイにイエス様は、
9節「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」
とおっしゃいました。

これを聞いていた人達は、ザーカイが罪を悔い改めとはいえ、この取税人が自分たちと同じ「アブラハムの子」と認めたくは無かったでしょう。

わたしたちは、ある人たちをいろいろな理由で嫌い、差別して、攻撃をしていないでしょうか?
もちろん正義のための戦いもあります。

しかし、その正義のための争いも、神様の悲しまれる行いに変わってしまうことになることも、わたしたちは気付かないといけないと思うのです。

わたしたちを苦しめる存在には腹が立つし、そんな存在に関わりたくないと思うのは当然な反応だとは思います。

しかし、そのような人も含めすべての失われた人を救うためにイエス様は来られましたから、その人が信仰によって赦され、新しくされることを祈り、変えられた時は心から喜び迎えるわたしたちとなりますように。

ルカ15:10
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/28

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by yuuchinpuutan | 2017-10-28 12:25

イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」
(ルカ18:29~30)
聖書通読 18:18~34
ある金持ちの役人がイエス様に、「私は何をしたら、永遠のいのちを受けることができるでしょうか?」と聞きました。
イエス様が18:20「戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」とおっしゃると、役人は「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」と答えました。

これはわたしたちも子供のころから表現はちがうかもしれませんが親に教えられていました。
これはわたしたちすべての人間への神様からの教えのように思います。

次にイエス様のおっしゃったことが金持ちの役人にはたいへんなことでした。
22節「イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

すると金持ちはたいへん悲しんだとあります。

また、イエス様は「神の国のために家族を捨てた者で、誰一人として、
この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」とおっしゃいました。

財産、家族を手放せば天国に行けると教え、財産を神様に寄付しなさい、家族を捨てなさいというような宗教もありますが、イエス様はそのようなことをおっしゃったのではなく、「神様より重要になっているものは取り除きなさい。あなたの生き方を変えなさい。」
とおっしゃっておられるのでしょう。

マタイ6:21「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」とおっしゃっています。

わたしたちが、この地上で頼りにしているものは「家族とお金」になっているので、イエス様の喩え話はよく「家族とお金」が出てきてわたしたちの心は探られます。

この地上で生きるわたしたちの不安の多くは「家族とお金」からきているように思います。

クリスチャンになればこの不安から解放されるものではありません。
益々そのことで苦しい立場に立たされることがあるからです。

クリスチャンになることで安定した仕事を辞めることもあるでしょうし、今まで楽しんできた家族とのレジャーも減り、お金の使い道も違ってくるでしょう。
しかし、神様はそれ以上の喜びを地上でも下さり、天国では喜んで迎えてくださる約束があります。

ですから、わたしたちは捨ててきた物を惜しまないようにし、それによって神様からいただいた恵みを数える者とされますように。

ローマ12:2

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/26

レンブラント作「イサクの犠牲」(1634年)
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by yuuchinpuutan | 2017-10-26 06:38

タラコスパゲティ〜〜

パンダ亭🐼💕

昨日タラコの特売してたんで、

タラコスパゲティ〜〜〜😆

牛乳、バター、マヨネーズ、コンソメ、醤油とまずくなるわけなぁーい。

今日は動画レシピ見て作りました。

あのね。。。

スンバラシク美味しかった!!🤣💕✨

茹で時間はレシピどおりじゃなくて、好みでね!

パンダは汁気が多いほうが好きなんで牛乳は多め。

最後の塩、胡椒で好みの塩加減に。

粉チーズもかけなきゃね!

💮コクのある濃厚ソース!ワンパンたらこクリームパスタ
https://delishkitchen.tv/recipes/147638124548194598
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by yuuchinpuutan | 2017-10-25 12:21

祈り

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ18:13~14

聖書通読 ルカ18:9~17

自分を義人だと思い込み、人を見下しているパリサイ人たちに、イエス様はたとえ話をされました。

それは神様を礼拝するために宮に上がった二人の人の話でした。

パリサイ人は神様を礼拝する時に、神様にお祈りをするのではなく、自分の善良さ、敬虔さを人々にアピールしていましたが、取税人は自分の罪を認め、神様に心から赦しをこいました。

イエス様は、
14節
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と、この二人のうち神様から義と認められたのは、取税人だとおっしゃいました。

ここから気付かされたこと。

わたしはパリサイ人のような祈りはしませんが、取税人のような祈りもいつもしていません。

良くない自分に気付き、苦しい時は取税人のような祈りをします。

しかし、取税人のように「神様!わたしをあわれんでください!」と憐れみ深いお方と信じ祈るより、「こんなわたしを赦してください。」と祈っていることに気付きました。

わたしたちはイエス様を信じ、すでに罪赦されているのですから、わたしたちに必要なものは神様の「憐れみ」です。
わたしたちには毎日神様の憐れみと励ましが必要です。

ですから、日々神様に憐れみをいただけるように正直にへりくだった姿で神様の前にお祈りしようと思いました。

詩篇34:18
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 霊の砕かれた者を救われる。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/25

カール・ハインリッヒ・ブロッホ作「山上の垂訓」(1877年)
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by yuuchinpuutan | 2017-10-25 12:19

血管若返り

今、テレビ見てます。

高血圧、コレステロールにはお豆腐に入ってるマグネシウムがとても良いんだね。
それから青魚。

血管の老化を防ぐんだって!

わたし。。豆腐が苦手。。

パパは毎日でも喜んで食べてる。
パパはスリムだしなぁ。

明日からわたしも頑張ってお豆腐をたべるよ!

昨日は厚揚げ食べたけど。

今日は秋刀魚の塩焼きと、湯豆腐だった!あと、栗ご飯と、とろろ昆布のお吸い物でした。

おー知らんうちに良い食事してるかも。😆✨

だけど、わたしは秋刀魚と野菜ジュースだけ。夕飯はどうも食欲が無いのです。

わたし、お昼食べすぎかな?

写真は昨日の食事。
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by yuuchinpuutan | 2017-10-24 23:43

鴨南蛮

鴨南蛮 鴨に見せかけ コケコッコ🐔

鴨南蛮は江戸時代中期からあったようで、大正時代には、鴨南蛮にウサギの肉が使われたこともあったそうな。
🐰ギャ!

「吾輩は猫🐱である」で、「鴨南蛮の材料が烏である如く、下宿屋の牛鍋が馬肉である如く」との表現もあるそうだから、我が家の鴨南蛮はコケコッコ🐔
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by yuuchinpuutan | 2017-10-24 15:11

一羽のスズメ

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
(ルカ18:1)

聖書通読 18:1~8

悩みの無い人はいません。

わたしも今朝、目が覚めてすぐに、自分の悩みと信仰について、ぼんやりと考えていました。

そして、聖書を通読しようと今日の箇所を開いたとたん、
ルカ18:1から
「 いつでも祈るべきであり、失望してはならない!」と神様に語られました。

これにはびっくりしました。
わたしは何に失望していたのか?
神様か?人か?と自分に問うた時、わたしは神様でも人に対してでも無く、「自分に失望」していました。

わたしたちは知らず知らず悩みの中で、誰か人のせいにして怒りを持ってしまいます
しかし、その誰かも、何かに苦しんでいるわけであって、悩みの中、試練の中にいるのは同じなんですね。

皆、自分に失望しています。

しかし、「たとえわたしが自分に失望しても、神様はわたしを諦め無い。それが神様の愛なんだ!」っていう日曜のメッセージから涙したことを思いました。

今日の聖書箇所のしつこいやもめは裁判官のところに来て、
18:3『私の相手をさばいて、私を守ってください』

と、言っています。
これは今のわたしの姿でした。
しかし、イエスさまは「神様はこんな方です。」とおっしゃています。

ルカ18:7~8
「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

信仰を持って神様の愛を信頼し、祈り続けることが大切です。

神様に、人に、自分に失望すること無く、人を裁くこと無く、只々神様の権威の前に祈り求めようと思いました。

マタイ10:29
「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/24
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by yuuchinpuutan | 2017-10-24 06:14