お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

信仰義人

なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
(ローマ3:20)

聖書通読 ローマ3章

3章でパウロは神様の御前では皆有罪であると主張しています。

3:10「義人はいない。ひとりもいない。」
人は皆、神様の前で自分の罪を認め、「イエス.キリストはわたしの救い主です。」と信じなければ救われません。と、パウロは力強く主張しています。

そして、それは律法を守るユダヤ人だけでなく、信仰を持った異邦人もすべての人が救われますと言っています。

3:22「すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」

むしろ、律法を守ることで天国に行けるのだったら、誰一人天国にはいけません。
律法をすべて守れるのは、罪の無いイエス様だけです。

昨日の祈祷会での聖書の学びは、パウロの書いたガラテヤ3:19~25でした。

ガラテヤ3:24に「律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」とあります。

神様の前に基準に達することの出来ないわたしたちに律法は、自分の罪を映し出す鏡となりました。

昨日のメッセージでは、旧約のアブラハム契約とモーセのシナイ契約はイエス.キリストによって、律法と福音が融合され、より高いレベルになり、わたしたちすべての人の救いとなったことを学びました。
メッセージの中で、律法とイエス様の教えが話されました。

旧約の出エジプト23:5「あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。」から「あなたの敵を愛しなさい。」という教えと、

マタイ5章でイエス様のおっしゃった、兄弟に向かって腹を立てる者は、燃えるゲヘナに投げ込まれるから、神様を礼拝するために、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」という教えでした。
人を愛することの大切さ、赦すことの大切さを教えてくださっています。

わたしたちは罪の悔い改めと福音を信じる信仰によって、神様に喜ばれる行ないが出来る者と変えられていきますように。

ローマ3:23~24
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」

今日もみ言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 6/23
d0100239_08085275.jpg

# by yuuchinpuutan | 2017-06-23 08:07

裁き

私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。
(ローマ2:16)

聖書通読 ローマ2章

パウロの手紙がローマの教会で読まれた時、1章に書かれている偶像礼拝、同性愛、暴力に対するパウロの避難に対して、皆は大きくうなづいたことでしょう。
わたし自身も「当時のローマはそんなに乱れていたんだ!」と思いましたが、2章の冒頭では、いきなり、
2:1
「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。」
とあり、
神様から「他人事ではない。あなたも人の罪ぶかさを見て批判するより、自分の罪を見て、悔い改めなさい。」と指摘された思いがしました。

さらに16節では、
「神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。」
と、あります。

最後の審判の日、わたしたちの隠していた行いも全て明らかになり、『なんと罪に汚れた自分であったか。。。』と気付くのです。
それでは遅いのです。

罪の結果から救われる方法は、イエス.キリストを救い主と信じ、忍耐を持って今置かれている場所で神様の御心を求め、神の前に誠実に生きることなのです。

しかし、わたしもそれを知っいるだけではだめなのです。
それでは、結局、自分の基準で生き、人を裁き、自分の罪を隠そうとして、そんな自分に苦しむ結果になります。

聖書を一度も読んだことがない人も善悪の判断がついて、自分の良心によって行動したいと思いますが、なかなかできない自分に苦しんでいます。

クリスチャンのわたしたちも聖書を読んで正しい行いを知っているだけでは、自分の罪に結局は支配されてしまいます。

わたしたちが人生を神様に完全に委ね、罪赦された時、わたしたちは自ら感謝の応答として「良き行いをしたい。神様に喜ばれたい。」と願う者になるということを、今朝の学びで教えていただきました。
感謝します。

マタイ16:27
「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。」
今日もみ言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 6/22
d0100239_07510712.jpg

# by yuuchinpuutan | 2017-06-22 07:50