お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan
昨日はサックス奏者の安武さん、ギターリストの西田さんと、サムエルは立教女学院高校でゴスペルライブでした。

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女子高生の反応がとても元気でもりあがり、楽しいステージとなりました。




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3人のステージ。素晴らしいです!みなさんにも聴いていただきたかった。


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# by yuuchinpuutan | 2017-09-22 06:31

あたらしい皮袋

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
(ルカ5:38)

聖書通読 ルカ5:27~39

ルカ5章ではイエス様とパリサイ人たちとの間で論争があったことが語られています。
彼らは、取税人や罪人たちと一緒に食事をしているイエス様を非難し、弟子たちはなぜ断食しないのかと尋ねました。

ユダヤ人は旧約聖書のころから、神の前に自分の罪を悲しむ気持ちを込めて断食をおこなっていましたが、イエス様のいらした頃は形式的、義務的に行われ、パリサイ派の人々は断食を、それを人に見せたり、それを誇るために行っていました。
そんなパリサイ人にイエス様は2つのたとえ話をされました。

1つは、イエス様はご自分のことを婚礼の花婿にたとえて、
34節
「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。」とおっしゃいました。
その意味は、神の御子であるわたしがこの地上に来て、取税人、罪人たちと共にいることが、彼らにとって婚礼の時のような大きな喜びなのに、そんなときに断食することができますか?」というものでした。

そして、35節では
「しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」とおっしゃいました。

これはイエス様の十字架の死を表しています。そのときこそ弟子たちは断食することになります。

つまり断食は形式的な神の前に自分の罪を悲しむものではなく、イエス様の十字架の御苦しみを覚え、私たちの罪が赦されたことを喜ぶためにすることなのでした。

もう1つのたとえ話は 古い皮袋に新しいぶどう酒を入れると発酵力が強いので革袋は破れてしまうという話で、古いものと新しいものとは相容れないということをイエス様はおっしゃいました。

新しいものとは、主イエス様を信じる信仰のことで、古いものは、行いによって救われようとするパリサイ派の人々の信仰です。
パリサイ派の人はイエス様の教えを受け入れることができない人たちでした。
でも、行いによって救われると信じれば、自分の行いを誇ったり、人をさばいたりする心を生み出すだけで罪から救われません。

イエス様はたとえ話をなさいましたが、これは、新しいぶどう酒であるイエス様の福音を信じ、新しくされた心で受け入れてほしいと願っておられたからです。

ここから気付かせていただいたこと。

わたしの家族はクリスチャンホームになりましたが、教会に行き始めた頃、一番初めにローマ12:2を家族で暗唱しました。
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

これは神様がわたしたち家族の古い皮袋を捨てて、新しい皮袋に変えてくださったのだと思いました。

新しい皮袋はイエス様の福音の皮袋。
そして、そこに新しいワイン、み言葉を入れてくださっているのだと思いました。

新しい皮袋を神様のことばで満たしていく時、否定的に思っていた事が肯定的に、不安が平安に、絶望が希望に変えられることを感謝します。

今日もみ言葉によって生かされることを救い主イエス.キリストの御名を通してお祈り致します。

アーメン

2017 9/21
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# by yuuchinpuutan | 2017-09-21 04:05