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by yuuchinpuutan
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エマオの途上

彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

(ルカ24:30~32)

聖書通読 ルカ24:13~32

 イエス様が十字架に架かり亡くなった話はエルサレムの至るところに広まりました。
ユダヤの民はイエス様が敵から守って下さる軍事的なメシヤと信じていたので、民の失望は大変なものでした。

そんな失望の中、エマオに帰る途中の二人の信者は、イエス様が彼らのそばを歩き、話しかけておられるのに、彼らはその人がイエス様であるとわかりませんでした。

イエス様は、ルカ24:27で、
「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」とあります。

イエス様のお話を聞く二人の心は燃えました。
そして、イエス様を宿にお誘いし、食事をする時になって、
ルカ24:30~31
「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。」
とあります。

ここから考えたこと。

わたしたちはクリスチャンであっても試練には弱いです。
うまく行っている時は「神様のおかげです!」と感謝しますが、試練がやってくると、「神様、何故わたしがこんな目に合うのですか?」と神様に失望したり、砕かれた希望、挫折した計画の前に倒れこむ弱い信者です。
そんな時、わたしたちはイエス様のお姿が見えなくなる時があります。

クリスチャンは神様の御言葉を聖書を読み学んでいますが、現実の試練の前では学びだけでは試練を乗り越える力を発揮してくれません。

その学びを理解から信頼へと導いてくださるお方がイエス様です。
イエス様が聖書を解き明かしてくださるよう、願い求めるわたしたちでありますように。

その中で、わたしたちは喜びも試練もすべてのことが神様の権威の中で行われるということを理解し、神様への信頼へと導かれることでしょう。

詩篇23篇

「主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/15

obert Zünd, 「エマオへの道」 1877
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# by yuuchinpuutan | 2017-11-15 06:37

ビーフシチュー

今夜はビーフしちゅー。

あったまるし、美味しいよ。
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# by yuuchinpuutan | 2017-11-15 06:35