お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

ヤスタケイサムエル

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サムエル、サックスの安武さまとギターの西田さまとの立教女学院でのリハーサル無事終わりました。
明日本番です。
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朝6時半に家をでます。

おやすみなさいませ。

# by yuuchinpuutan | 2017-09-21 04:02

ツァラアト

さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。
(ルカ5:12~13)

聖書通読ルカ5:12~26

イエス様は人々に、み言葉を語られ、悪霊を追い出し、病人を癒されました。
ルカ5章では全身ツァラアトの人を癒されました。

ツァラアトは治療法が無い大変恐れられた感染力の強い病気だったために、かかった人は町から追放され隠れるように生きていました。

レビ記13章45節~46にはツァラアトになった人への決まりがありました。

「患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。
その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」

この病から自分たちを守るためにこのような決まりがありましたが、病人になってしまった本人にとっては、非常につらい決まりでした。

家族から離れ、人々が生活する社会から隔離された場所で生活しなければなりません。
一目でそれと分かる格好をして、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と大声で叫んで知らせなければならないなんて、とてもみじめな気持になったでしょうし、病気と心の苦しみも負いながら生きることは大変なことでした。

わたしは子供のころ、「ベンハー」という映画を見ましたが、イエス様がツァラアトの人に触り、その人が癒された場面がとても強烈に残っています。

当時わたしはイエス様のことは何もしりませんでしたが、恐ろしい伝染病の人を優しく触るイエス様に感動したのでした。

このツァラアトの人は、イエス様の噂を聞き知っていたのでしょう。イエス様にお願いしたら、癒してもらえる‥‥‥そう思ったとき、「わたしは汚れた者です」と叫んで知らせるのではなく、癒されたい一心で、
ルカ5:12
「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」と叫んだのでしょう。

お心一つとは、どんなことでしょうか。それは主イエス様へのへりくだりと言おうか、
「わたしのような者の言葉を聞いていただけるなら、わたしをきよくしていただきたいのです。」いうよう気持ちがことばに現れたのだと思います。

わたしはクリスチャンになってから、神様には「~してください。」とお祈りするだけでなく、「主のみこころならば。」とお祈りすることを知りました。
祈り願っても癒されないこと、叶えられないこともたくさんあると知りました。
それで信仰を捨てる人も見てきました。

しかし、信仰とは自分の願いに神様を従わせることではなく、神の御心に従って生きることであり、祈りとは神の御心を求めることであると学びました。

わたしはこのツァラアトの人の
「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」と言った、神様のみこころに従いますという言葉に、イエス様は御心によって、この人の願いを聞き届けてくださったのだと思います。

ルカ5:13
『イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。』

イエス様はそのおそろしい皮膚病に触れて癒してくださったのです。

そこにわたしが子供のころに感動したイエス様の深い愛が込められていると思いました。

第1ヨハネ4:16
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

今日もみ言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 9/20
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# by yuuchinpuutan | 2017-09-20 06:43