お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan
カレンダー
ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
女たちはイエスのみことばを思い出した。
(ルカ24:6~8)

聖書通読 ルカ24:1~10

イエス様は地上で生きて宣教なさっておられる時に、ご自分に起こる全てのことを正確に預言なさっておられました。

ルカ9:22
「そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」

ルカ18:31~33
「さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

このことはイエス様の預言により、キリスト教の中心的事実となりました。
そして、この事実の上に教会が建ったのでした。

わたしたちは、ともすると自分の教会のことで心がいっぱいいっぱいになりますが、世界中の教会が建てられたその場所で、その事実を伝え宣教していることを思い、世界の教会のために祈りたいと思います。

あるところでは他の宗教から迫害にあったり、政治的な圧力があったり、内部で分裂があったりと、悲しみの中にある教会もたくさんありますが、人となられた神様がおられ、その方が人間の罪の身代りになって死に、栄光のうちによみがえり、世界中の教会をご支配なさっておられるという事実を信じる信仰がわたしたちクリスチャンを結びつけていますから、共に祈る広い信仰の目をわたしたちにお与えください。

そして、イエス様の復活はわたしたちの日常にある、痛み、苦しみ、試練の中にも働いておられ、希望の光を見せてくださいます。

わたしたちがそれぞれ抱える悲しみの中にも意義を見出させてくださいますから、どんな時も信仰を捨てず、神様にお祈りして、御言葉に歩むわたしたちでありますように。

パウロはコリントの教会の人たちにこのように書き送りました。

第1コリント15:1~2
 「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/14
d0100239_06475998.png

# by yuuchinpuutan | 2017-11-14 06:46

身代わりの刑

そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
(ルカ23:44~46)

聖書通読ルカ23:44~56
 
44節に「そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。」とあります。
一日のうちで一番明るいような時間帯が夜のようになったのでしょうか。
自然界までがイエス様の死を悲しんでいるように思えますが、この暗黒は、人間の罪の深さ、そして、その罪に対する神の刑罰を表わしているかのようです。

ルカの福音書には書かれていませんが、マタイ27:46には、
その時、イエス様は十字架の上で、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と悲痛な叫びをなさいました。
イエス様は、この時、十字架の上でわたしたちの罪の身代わりの刑罰を受けられたのでした。
 
そして、エルサレムの神殿でも大変なことが起こっていました。神殿の幕が真二つに裂けたのです。聖所、と至聖所の間の幕です。

聖所には祭司たちが毎日入って儀式を執り行い、契約の箱がある至聖所は大祭司が年に一度だけしか入ることを許されていま せんでした。

この2つの部屋の間の幕が真二つに裂けたのです。

マタイ27:51には、
「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」とあります。
人が裂くと下からですが、上からさけたのでした。
それは、神によって裂かれたからです。
その結果、祭司だけでなくイエス様を信じる者は誰でも、神様のもとに近づき、神様を礼拝することができるようになったのでした。

それは、イエス様の十字架の犠牲によって、神様と私たちとを隔てている罪が取り除かれたということでした。

ヘブル10:20
「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」とあります。

イエス様はわたしたちの代わりに神の裁きをすべて引き受け、わたしたちに新しい生ける道を与えてくださったのです。
 
その恵みによってわたしたちは今、天の神様を「父よ」と呼び、御前に出てお祈りすることができるようになりました。感謝します。

このイエス様の犠牲、わたしたち人間に対する愛に心から感謝し、お祈りして日々暮らしていこうと思います。

ヨハネ3:16
「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 11/13
d0100239_06561124.png

# by yuuchinpuutan | 2017-11-13 06:54