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by yuuchinpuutan

恵みをらわず。

弟子たちは答えた。「こんな人里離れたところで、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができるでしょう。」
(マルコ8:4)

聖書通読マルコ8章

この弟子たちのことばを読んで、思ったことは、わたしたちもこのように、神様に思ってしまうことがあるということです。
イエス様のお話を聞こうと3日間付いて来て、食べ物がなくなっていた群衆を可哀想に思ったイエス様に対して、弟子たちはこのように答えました。

弟子たちはイエスさまが5000人のユダヤ人に「5つのパンと2匹の魚」でお腹を満たして下さったことを体験しているのに、ここではそのことを忘れて「こんな人里離れたところで、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができるでしょう。」と言っています。

わたしたちも神様から過去に恵みをいただいているのに、今の目の前にある出来事を嘆き、絶望し、希望をもつことができないことがあります。
「今回も神様があの時と同じように、わたしたちを憐れんで恵みを下さる!」と、考えないのです。

その時の弟子もそうでした。イエス様のそばにいつも居て、たくさんの奇跡を見ていながら、そう思いました。

もしかしたら、この群衆がデカポリスの異邦人の群れだったので、イエス様がユダヤ人にした奇跡はなさらないと思ったのでしょうか。
もし、そうだとしたらこの出来事を知った異邦人の人たちはどんなにか励まされたことでしょう。

わたしたちはイエス様の分け隔ての無い恵みを知っていますから、今も主を信頼し希望を持って歩むことができますように。

マタイ6:32〜34
「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」

今日もみことばに感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン!

2018 4/26
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# by yuuchinpuutan | 2018-04-26 06:39

きせき

人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。
そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。
そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。
すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
(マルコ7:32~35)

別の箇所で、イエス様は同じように目の見えない人の目に唾で作った泥を塗って目を見えるようにされたことが記録されていますが、「唾と泥」ということで、イエス様のなさる癒しの中では、なんとなく抵抗がありました。

しかし、今日読んで黙想していると、この人は自分からでは無く、人々が連れて来て癒しを願ったことや、イエス様はその人だけを群衆から連れ出したことが印象的でした。
この人への特別な個人的な神様の選びを感じました。

また、人々はイエス様がこの人に手を置いて癒してくださると思っていたら、唾や泥で癒されたので、びっくりしたのではないでしょうか。

ここから、わたしたちが神様に癒される時も、わたしたちが想像していた方法とはまったく違う方法で神様はなさると思いました。

今日の箇所のように、今まで汚いと思っていたものが用いられて、奇跡を起こすようにです。

これをわたしたちの教会に当てはめても言えると思います。
わたしたちの先入観が神様によって取り去られ、素晴らしい恵みがいただけますように。

イエス様は「唾と泥」を用いて癒されました。
わたしたちも心合わせ祈り願うことで、先入観を取り除いていただき、奇跡を体験し、その証人となりますように。

イザヤ書 53:4~5
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」

今日もみことばに感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン!

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# by yuuchinpuutan | 2018-04-25 10:57