怒り
2016年 07月 29日
昨日主人の怒りを受けました。怒りを受けると、受けたわたしも怒りが起こります。
そんな時、「何故そんなことで?」と思うと腹が立ちますが「性格だから。。」と思うと、気持ちは落ち着きます。
夫婦、家族はお互いの性格や今の状況を知っているので、怒りの処理は案外たやすいですし、関係も回復が早いです。
しかし、他人は怒りを軽率にぶつければ簡単に関係が壊れることもあるし、怒りを溜め込めばいつか爆発します。
怒りに対して、聖書は怒っても罪を犯してはいけないし、日が暮れるまで憤ったままではいけないと指摘しています。
それは、怒りが恨みになっていくからでしょうか。
怒りの対処はまず相手が何故怒るのか、気持ちを知ろうとするところから解決していくように思います。
我慢ではなく、理解です。我慢は恨みに変化していきます。忍耐を持って相手を理解するよう努めたいものです。
ところで、我慢と忍耐は同じように感じますが違うようです。
「我慢」というのは、欲求を耐えしのぐことで、「忍耐」は、すべきことをやり遂げるということなのだそうです。
自分が怒りに耐えている時、これは「我慢」なのか「忍耐」なのか、どちらであるのか、自分がしたいことは何なのか、しっかり熟考して考え、それをするためには、今、自分はどうしたらよいか考えることが大切であると思います。
それによって、怒りに勝利するわたしたちでありますように。
詩篇4:4
恐れおののけ。そして罪を犯すな。 床の上で自分の心に語り、静まれ。 セラ
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 7/29
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今日から娘とマロ介が来ます。