心配事
2016年 08月 12日
(第一ペテロ5:7)
今朝この御言葉を選び黙想していたら、この賛美が唇から出てきました。
🎵わたしのすべての心配事を主にゆだねます
どうしていいかわからなくても ゆだねますあなたに
わたしの重荷を 主の足もとに置きます
どうしていいかわからなくても ゆだねますあなたに🎵
リビングプレイズ125番です。
心配ごとの無い人などはいません。すべての人に心配ごとがあります。
人は見えない未来に心配して、悩みを自ら作り出すところがあります。
その悩みは自分の愚かさや罪深さから来ると思い、自分ひとりで抱えて悩むことが多いです。
家族や友人に話して気持ちが軽くなる時もありますが、悩みが深いとプライドを捨てて謙遜にならなけば話せないこともあります。
しかし、なんとか話せても、わたしたちは相手からの励ましや優しさを求めますから、厳しい言葉が返ってくると傷付きます。
そればかりか、心配ごとを聞いてくれて、アドバイスをしてくれた友に怒りを覚え、それがまた悩みになったりすることもあります。
だから、それが怖くて話せないのです。
それならば誰に話せば良いのでしょう。
それは、すべてのことをご存知で、状況を支配出来る神様です。
わたしたちが悔い改めを持って神様に立ち返るなら、すべての心配ごと、悩み、葛藤などの重荷を神様が負ってくださいます。
神様に助けを求めれば、神様は人や物事を通して必ず助けてくださいますから、その時を信じ期待して待つ者となりますように。
なによりも、永遠のいのちを頂ける恵に感謝して、心配ごとや悩みを乗り越えることができますように。
マタイ6:25
「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」
今日も御言葉に感謝してイエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 8/12