(第2コリント7:10)
2016年 08月 13日
わたしたちは、イエス様を知る前は自分の罪にも気付かず歩んでいましたが、罪を告白し救われた今でも、弱さゆえに、神様のみこころに背いてしまうことがあります。
でも、自分の至らなさを心から悔い改めたなら、神様は許してくださいますから、やり直しが出来ます。
そして、何度も失敗する私たちが、神様のみこころに従おうとするなら、失敗は私たちの心をへりくだらせ、成長するために、それをむしろ益となるように用いてくださいます。
それにしても、わたしたちは自分の弱さ、足りなさを知っていますが、同じあやまちを犯してしまいます。
この弱さとは 一生つきあっていくものかも知れませんが、悔い改めに導き、何度も赦してくださる主に感謝します。
マタイ18:21で、
ペテロがイエスさまに「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」と聞いた時、イエス さまは「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」とおっしゃいました。
なんという、イエスさまの深い愛と赦しでしょうか。
しかし、姦淫の女にイエスさまがおっしゃったことをわたしたちはけっして忘れてはいけません。
ヨハネ8:16
イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
と、あります。イエスさまは罪を赦されましたが、罪を大目に見たのではなく、心から悔い改めることを命じられています。
もし、わたしたちがまた、神様を忘れ、世の悲しみだけで終わってしまったなら、わたしたちにあるのは永遠の苦しみだけです。
この世で自分の罪を見ないようにして楽になろうとするのでは無く、なんども主の御前に悔い改め低くなることが幸せなのです。
どうぞいつも主の前で悔い改めをする者でありますように。
もし、今、神様から離れて行く自分を感じている方がいるならば、救いに至る悔い改めに導かれますように。
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 8/13