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by yuuchinpuutan

平安

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
(ヨハネ14:27)

「平安」とはどんな状態をいうのでしょうか。調べてみると、「無事で穏やかなこと。」と、ありました。

ヘブライ語だと、「シャローム」。

わたしはクリスチャンになって、はじめて「シャローム」という言葉を聞きました。
一人のクリスチャンの男性がわたしに向けて言ってくれたのが、初めてでした。意味はわからなかったけれど、何か良い言葉を投げかけてくれたのは分かりました。

わたしたちは日々いろいろな心配、悩み、悲しみ、ストレスを抱えて生きていて、「無事で穏やか」なことなどなかなかありません。

だからこそ、わたしたちはこうありたいということで「平安」という言葉を使うのだと思います。
「平安京」「平安時代」平和な町、平和な時代であってほしいという思いがここに現れています。

しかし、イエス様がくださる「平安」は「世が与える平安」では無いとおっしゃっています。
世が与える平安とは違う平安。

イエス様は「世が与える平安」をルカ12章の愚かな金持ちの姿に例えてお話しなさいました。

彼は自分の畑が豊作になり、新しい大きな倉を建てて安心したのです。
  世に求めるわたしたちの平安は、周りの状況や環境が与えてくれる平安・安心なのです。

この例えを通しても、お金や健康は生きているわたしたちに大変必要なもので、このどちらかが欠けると不安になり「平安な心」は無くなってしまいます。

では、イエス様のくださる「平安」はどんなものでしょうか。

この平安は、どんな状況においても確信に満ちた安心を持っていることです。

「神様の平安」はわたしたちの心を襲う敵の影響力を抑え、慰めを与えます。

では、どのようにして、この「平安」を私たちは手に入れるのでしょうか。

それには、まずイエス様を心の中にお迎えして、心を支配していただく必要があります。

コロサイ3:15

 「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」と、あります。

イエス様を心にお迎えすることで、イエス様を信頼しながら歩むことが習慣となります。

恐れがやって来た時に、

「主よ、今、私の心をあなたの平安で満たして下さい」と祈ることで、「平安」は心に満ちていくのです。

ピリピ4:6〜7に

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

と、あります。

主よ。どうぞわたしたちからこの不安を取り去り、聖霊がキリストの平安で心を満たして下さいますようにお願いいたします。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016 8/27
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by yuuchinpuutan | 2016-08-27 05:51