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by yuuchinpuutan

詩篇46:1〜3

神はわれらの避け所、また力。 苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。 たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、 その水かさが増して山々が揺れ動いても。  セラ
(詩篇46:1〜3)
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先日の24日にイタリア中部をマグニチュード6.2の地震が襲い、たくさんの方が命を落とされました。
日本も今年の4月には熊本地震、2011年の3月には東日本大震災が起き、多くの方が突然恐怖と悲しみの真っ只中に突き落とれました。
わたしたちも命を落とされた方々、家族を失った方々のお気持ちを思うと心が痛みます。

イタリアも日本も地震国で、常にわたしたちの心の中には地震や台風の自然災害に対する恐れがあります。

わたしは小学校の時、祖父から関東大震災の話を聞いて、友人と本で被害やその時の状況を調べ、地震ノイローゼのようになった記憶があります。

わたしたちは、ノイローゼにはならないにしても、地震だけでなく、人災である核爆発の結果として、都市は崩れ落ち、山々は揺れ動き、海の真ん中にうつったような恐怖に対する恐れをいつも持って生活しています。

わたしたちの人生は地震や核爆発だけでなく、今の生活を根底から揺るがすような試練を恐れています。

しかし、主はわたしたちに、どんなことがあっても「われらは恐れない!」と言えるような揺るがない平安をくださいます。
それは、わたしたちの避け処なる主を知ることによります。

そうはいっても、わたしたちは死にたくないし、大切な人を失いたくないので不安や悲しみで苦しみます。
ですから、たといどんな事が起ころうとも、押しつぶされない、揺るがない平安を持つことができたら、どんなに幸いでしょうか。

わたしはクリスチャンになって1年後に最愛の父を病で失いました。しばらくは悲しみに暮れていましたが、わたしを支えたのはわたしの避け処となって下さったイエス様でした。

わたしは父が亡くなってまもなく、ある夢を見ました。
大地震が起こり、火山が爆発し、この世が終わったのでした。
わたしはたくさんの人の中にいて、皆がイエスさまに会うためぞろぞろと同じ方向に向かって歩いていました。
わたしは、その中で父を泣きながら懸命に探していました。

その時は肉親を失う恐れ悲しみでしたが、本当に恐れるべきものは、わたしたちすべての者が神様の前に立たされる終わりの日です。

終わりの日に主の前に喜びを持って立つ者とされますように。
大切な人とその恵みに共にあずかりますように。
終わりの日は確実に近付いていますから、その時に備えるわたしたちでありますように。

詩篇62:7
私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。 私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016 8/30

最近懐かしく見た写真。
菊江母とわたし。
by yuuchinpuutan | 2016-08-30 06:45