お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

マタイ18:20

マタイ18:20_d0100239_07274732.jpeg
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18:20)

今日は聖日なので教会へ行って神様に礼拝を捧げます。

教会はイエスさまへの信仰告白の上に成り立つ群れのことで、ふたりでも三人でもイエスさまの御名によって集まるところに、イエスさまが共におられます。

最近わたしは続けて、共に教会に集う 神の家族に、だれもが言いにくいことを「忠告」するという立場に立ちました。

これは自分の思い上がり、傲慢でないことを祈り、愛をもって話せる時が神様からの「GO!」であると思い行動しましたが、結果は神様にお委ねしています。

マタイ18:15に、「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」とあります。

マタイ18章では、「教会」がどのような群れなのかが語られます。

教会は神様を父、イエス様を長男して兄弟姉妹の集まる神の家族ですが、時には罪の性質から、人を傷付けたり、反対に傷を受けたりします。それも教会の現実です。
その時は、その人と自分の関係が良い関係でなければ「忠告」するのは難しいことです。かえってかたくなになられたり、恨みを買うこともあります。
まずは相手の人に対しての自分の罪を「悔い改め」と「隣人愛」と「神様への祈り」をもってしなければ実を結びません。
「忠告」された人も罪を認め、それを主の前で悔い改め、「悪かった」と相手の人に心から謝れば、互いの悪意や敵意が乗り越えられて良い関係が持てるようになります。

マタイ18:15「もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」とは、このことです。そして、二人きりで語り合う目的は「兄弟を得る」ことなのです。
「兄弟を得る」とは、兄弟を罪から解き互いに赦し合い愛し合うことだと思います。

神様は教会に対して、地上で兄弟の罪を赦すことができるようにと期待されます。教会が神の望んでおられる期待に応えることができますように。

今日も感謝と喜びをもって、愛する兄弟姉妹と共に礼拝を捧げ、共に恵を頂く者でありますように。

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2016. 10/16
by yuuchinpuutan | 2016-10-16 07:25