弱さを身にまとうもの同士。
2016年 10月 27日
(ヘブル5:1~2)
ヘブル5章はイエス様の大祭司としての身分と、人としての側面が書かれた書簡ですが、記者が誰だか分かっていません。テモテのことを兄弟として話すイエス様のお弟子さんのようです。
この時の時代背景ですが。当日のクリスチャンは大変な迫害を受けていたので、2代目クリスチャンの中にはユダヤ教へと戻ろうとしていた人々もいたようです。そのような中で人々はキリスト教会は真実であり、イエス様は確かに救い主であることを、再確認する必要があったのでした。
今日は教会のお祈り会があります。月の終わりの祈り会は証会になっています。
参加者はだいたい10人前後ですが、テーブルを囲み全員の顔が見れるように座り、1人づつ最近神様から頂いた恵を証します。
証会になると参加者が少し減るのは、人前で話す事が苦手だったり、証がなかったりといろいろあると思います。
時には「今わたしは証がありません。パスします。」ということもありますが、こんな時こそ兄弟姉妹の証を聞くことは大変恵になります。そんな時、わたしたちには聞く姿勢が神様から求められているのだと思います。
ところで、今日の御言葉の「無知な迷っている人々を思いやる」とはどういう人を指しているのでしょうか。
イエス様を知らない人たちだけでは無く、クリスチャンに対しても、相手の身になって思いやるということです。
わたしたちには「今、神様を遠くに感じる。」という友人もいるかもしれないし、わたしたち自身だったりもします。そんな時、わたしたちは自分自身も弱さをまとっているので、その弱さのゆえに、そのように迷っている人々に対して優しく接していかなければなりません。
ガラテヤ6章1~4節にはこうあります。
「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。」
これはクリスチャンに対していわれていることです。
もし自分の信仰のことで悩んでいる人がいたら、裁いたりせず、自分自身もその人と何ら変わらない弱い人間であるということから、自分も同じような境遇に置かれていたら、きっと同じような思いになるに違いないと、苦しんでいる人たちの気持ちを思いやることが大切です。
それは霊的にも、わたしたちは決して完全な者ではなく、自分自身も弱さを身にまとっているので、同じような弱さを持っている人々を思いやることができるからです。
そのことをしっかり心に留めて謙虚な気持ちを忘れず証会に参加したいと思います。
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 10/27