お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。 愚かな者の友となる者は害を受ける。
(箴言13:20)

わたしはクリスチャンになってから、いくつかの職場で働いていますが、まず面接の時に「クリスチャンであること。」「日曜は出勤出来ないこと。」このことをかならず言います。

これが理由で不採用になったことは無いと思います。むしろ、「真面目、一生懸命仕事をする。」というイメージがあるのかもしれません。

職場の人から「教会って聖人君子が集まるところでしょう」とか「クリスチャンって、みんな同じような雰囲気を出しているかと思っていたけど、あなたは違うのね。」と言われたことがあります。

それはとんでもない誤解です。教会は罪人の集まりです。ただ、「赦された罪人」の集まりです。

皆、一人一人個性的です。同じ雰囲気を出していたら、それは洗脳されているのでしょう。

 「朱に交われば赤くなる」ということわざがありますが、怪しげな宗教は洗脳されて、同じ色に染まりますが、「主に交わればきよくなる」のです。教会に来ると神さまが分かり、イエス・キリストの十字架の救いが分かります。

聖なる神さまとの出会いのなかで、罪人の歩みも次第に変えられていくのです。 それはただ、一方的な恵みによる救いなのです。過去の罪が赦されることも救いの大きな恵みで、生き方が変えられることが素晴らしいのです。

数年前のことになりますが、ある日突然中学1年の時に一緒に行動していた長野さんという女子から電話がありました。卒業以来一度も合わないクラスメートでした。同窓会名簿から電話番号がわかったようでした。

電話をかけてきた理由はすぐわかりました。いきなり、「優子ひさしぶりね。中学1の時、わたし。。優子のことイジメていたよね。ごめんなさい。許してね。」と言ったのでした。

確かにわたしの中学1年は辛かった。

イジメられたわたしの心も歪み荒れていました。先生に反抗的で勉強もしなかったので、そのことは高校進学にも影響するような辛い中学生活になりました。

友人の突然の電話で忘れていた過去に引き戻された感じでした。

話ていくうちに、彼女がカトリックのクリスチャンになったことがわかりました。懺悔だったのでしょうか?わたしもクリスチャンになったことを話し互いに喜びました。

これはすごいことです。何十年も前に犯した罪を謝罪してきたのですから。勇気がいったことでしょう。彼女の心の中にあった重荷を下ろしたのでしょう。

このことから「主に交われば清くなる」ことがわかります。

主と交われば変えられるのです。過去の罪も許されるのです。

友人や知人は深くわたしたちの歩みに影響を与えます。誰を友に選ぶかは大変大切なことです。

わたしの中学時代はたしかに辛い時期で、そのことがわたしの歩みにかなり影響したかも知れませんが、全てを益としてくださる神様によって、今は最善の道を歩ませて頂いていると信じます。そして、過去の出来事もすべて主の御手の中にあったことを思い感謝します。

(レビ11:45)

「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。

2016 12/1
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by yuuchinpuutan | 2016-12-01 06:32