あかし
2016年 12月 06日
(ヘブル12:1)
今日の御言葉にある「多くの証人たち」から思い出すことは、わたしがまだ求道中だった時、一人の年配のご婦人とたまたま同じ車に乗った時のことです。
そのご婦人はその日初めてお会いした かただったのですが、車の中でわたしに「証」の話をなさいました。
「クリスチャンは証が大事なの。証をたくさんの人にしなさい。」というような話であったと思いますが、わたしは「証」という言葉をはじめて聞いて、なんだかとてもむずかしいことのように感じたのを覚えています。
キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを「証(あかし)をする」と言いますが、キリストをまだ信じていない人に対して証をすることは福音伝道にとって大切なことです。
さらに、わたしたちの日々の生活の中で信仰に基づいた行動をとることも「証の生活」といいます。
どのような生活かというと、イエスさまが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに関心を抱き、生活の中で実践していくことです。
その点でわたしを導いてくださった姉妹方は教えを実践し熱心に証をしてくださいました。
53歳の若さで天に召された姉妹は「木下さんが、わたしの導く最後の人になるでしょう。」と言って心臓が悪かったけれど、わたしをあちこちの教会の講演会に連れて行ったり、家に招いてくださいました。
その姉妹の「わたしの葬儀は伝道集会にしてほしい」と話されたことは、最後まで証人でありたいと思っていらしたからでしょう。
姉妹の忠実な信仰はわたしを勇気づけてくれました。そして、「あなただけが苦しいのでは無い、他の多くのクリスチャンがその競争を走り抜いて勝利を得たのです。」ということをたくさんの方の救われた証を話すことで教えてくださいました。
そして、姉妹とは2年という短いお交わりでしたが、わたしが受洗して間も無く天に召されました。
姉妹は重い心臓病を持ちながら、たくさんの人に手を差し伸べ、天国のゴール目指し走っていきました。
このことを通して、過去に生きた信仰の友も、今一緒に生きている信仰の友も、キリストの体において1つであることを思い感謝します。
ヘブル35~39
「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
わたしの義人は信仰によって生きる。
もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 12/3