受けたり与えたり。
2016年 12月 09日
昨日は人に話したいけれど、話せない嬉しいことがありました。
主人には話しましたけれど。
ある方から思いがけず、頂き物をしたのです。
人との物のやりとりって、いつもお世話になっているからとか、先日あれをしてもらったからとか、何かしら理由のある時が多いのですが、まったくそんな関係はなく、予想外にポンと頂き物をすると、それがどんなに小さなものでもすごく嬉しい。
わたしたちは、思いがけずにプレゼントをもらったとき、人から感謝されたとき、親切にされたときなど、幸せを感じます。
よく、年寄りじゃないのに席をゆずられて不愉快になった話を聞くけれど、わたしは譲ってもらったら嬉しいです。
譲ってくださったその方の心に、わたしという存在が一瞬でも入り、してあげたいという気持ちを持ってくださったわけだから。
その方の親切を、愛を受けたいと思います。
「受けるよりも与える方が幸いである」とみことばにありますが、誰にも人に何かをしてあげたらとても喜ばれて、自分も嬉しくなった経験があると思います。
わたしたちは、与えてもらったり、与えたり、人は互いに与え合うことによって幸せな気持ちになります。
でも、自分には与えるものなど何もないと言う人もいるでしょう。
しかし、与えるのは、物だけではありません。愛と親切を与えればよいのです。
それこそ、わたし自身を分け与えることでしょう。
たとえば、自分の話をするのも必要だけれど、話を聴いてほしがっている人の声には耳をかたむけることも愛です。
このようにわたしたちが物に限らず、自分自身を与えることによって、わたしたちのまわりに幸せが生まれます。
わたしは時々ある人から冗談ぽく「あなたは調子がいいんだから、いい子ぶるんだから。」と言われますが、それでも良いのです。
「はーい。わたしは調子の良い人間でぇーす。」と言います。腹も立ちません。
お互いが幸せな気持ちになれば、調子よかろうがそんなこと関係無いのです。
マザー・テレサさんのことばです。
「親切で、慈しみ深くありなさい。あなたに出会った人がだれでも、まえよりももっと気持ちよく、明るくなって帰るようになさい。神さまの親切の生きたしるしとなりなさい。親切があなたの表情に、まなざしに、ほほえみに、温かく声をかけることばに表われるように」
素晴らしいマザー・テレサさんの言葉です。
わたしはこのような人になりたいです。
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 12/9