与える
2016年 12月 29日
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。
父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。
(エペソ6:1~4)
昨夜はわたしたちの教会でユースの集会がありました。クリスマスと望年会を合わせて「クリボウ」。
今年1年を神様に感謝し、来年も期待して迎えるために、集まり、賛美し、共に食し、共に遊びました。
わたしは教会学校のスタッフなので、食事の準備と片付けのために参加しましたが、一番大事なことは彼らの日頃なかなか見れない様子を見て、会話の時を持つことです。
会話の中で見えて来るのは、家族関係、親と子の関係です。
マザー・テレサはよく「愛は家庭から始まる」と言っていますが、家庭に愛があるというのは、決して当たり前のことではありません。むしろ、家族というのはお互いに甘えがありますから我が儘になりやすいのです。
夫婦はもともとは他人で、他人同士の間に生まれてきたのが子供です。
自分と子供は血が繋がっているので、子供は自分でもあるわけで、愛情の表現も子供の人格の尊重より、自己中心から来ることもあります。
そして、他人である夫婦は育ってきた環境が全く違うわけですから、子供への接し方も捉え方も違います。ですから、自己中心では無く自己犠牲の愛がなければ家族はバラバラになってしまうものだということをわたしたちは忘れてはいけないと思います。
心がバラバラのまま一つ屋根の下に暮らすということはどんなに辛いことでしょうか。そんな時、わたしたちは益々自分のことだけを考えて相手を非難し、自分を守ろうとしますが、こういう時にこそ愛が必要でしょう。
どんな愛でしょうか?
愛とは「どうしたら、この人が幸せになるだろうか」という事を自分のことのように考える気持ちだと思います。
気遣い、正しい言葉をかけ、誠実で愛情を込めた眼差しで相手を見つめることが大事です。
主イエスさまは『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われました。
周囲に愛を示すことでわたしたちは、成長することができ、心は満たされ、自分を取り巻く世界と強い絆を結ぶことが出来ます。
わたしたちは神様から最大の愛をいただいていますから、受けるより与えることの幸いの中に生きていけますように。
愛した人に対して、見返りがなくても、恨まず恩を着せることのないように、赦す心を与えて下さい。
使徒20:35
「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2016 12/29