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by yuuchinpuutan

心配ごと

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)

わたしは将来に起こるかどうか分からないことを心配している人に「先のことを心配して、大切な今を憂鬱にすごしたらもったいないよ。」と言います。

しかし、わたしたちは明日の準備に今日を生きているような存在でもあります。

それは明日を良いものにしたいからでしょう。それは自分の楽しみのためであったり、自分に課せられた責任のためであったりします。

つまり、その日の労苦、やるべきことはたくさんありますから、明日を心配するのではなく、明日のために今日与えられたことを心を尽くしてやることが大切です。

ところで。わたしは、マルティン・ルターが言ったと言われている、
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」が好きです。

クリスチャンでない方も、誰が言ったか知らなくても、この言葉を知っている人は多いのではないでしょうか。

「最後まであきらめずに、希望を捨てずにがんばろう」などという意味合いで受け止める方が多いような気がします。

また、「死は、人生の終末ではない、生涯の完成である。その瞬間まで希望を捨てずに、日々しっかりした意志によって事を行い、自分の生涯を完成しよう」と思う方もいるでしょう。

しかし、わたしたちクリスチャンはこの世界の滅亡が最後で無いことを信じています。

終末は世界の終わりでは無く、完成であり、そして、それは、神の手によるものであると信じています。

イエスさまは山上の説教で、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」とおっしゃいました。

わたしたちが、未来をあれこれ詮索して心配しても仕方ないのです。わたしたちは今日一日、自分に託された仕事を精一杯やるだけです。

クリスチャンも今に生きていますが、終末にも生きています。なぜなら、わたしたちは、救い主イエス・キリストが昨日も今日も明日も共に居られると信じているからです。

ヘブル13:8「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」

イエス様は今までそうであられたように、これからも、永遠に同じです。

全てが移りゆくこの世に生きるわたしたちは変わらない主を信頼できる恵をいつも忘れないように、感謝して生きて行く者でありますように。

ヘブル1:10~12

「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。

あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 1/8

クリムトの「りんごの木」
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by yuuchinpuutan | 2017-01-08 23:49