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by yuuchinpuutan

祈り

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
(ルカ18:1)

教会に韓国人の宣教師ご夫妻がいらっしゃって、昨年の11月に夫人のお母様が病から集中治療室に入り、もう最期かもしれないということで、一時帰国なさいました。
そして、最後は自宅でとのことで、家に戻り家族で最後の介護をしていたところ、なんと、みるみるうちに回復し、食事も普通食になり、会話もできるようになったのでした。
介護をしていらした夫人も健康が守られ帰国なさり、3ヶ月ぶりにこちらの礼拝に出席なさいました。
夫人は証をなさいましたが、「いつもみなさんの祈りを背後に感じていました。」とおっしゃいました。

このようなお話を聞いた時は「祈りの力」を知り、励まされますが、その反対に祈っても、祈っても、わたしたちが望むようにはならない時も多いいです。
そんなわたしたちに、イエス様はいろいろな例えを持って、いつでも祈り、失望してはならないと教えられました。

裁判官にしっこく裁判をしてくれるように必死に頼んだ、やもめのように「諦めずに。」
宮に上って「神様の憐れみを請う」取税人のように。
イエスさまのみもとにいた子供のような「純真な、頼り切った態度」で祈るように教えられました。

このように祈った結果であれば、わたしたちは、願い通りのものが与えられなかったとしても、「神様は祈りに答えてくださらなかった。」と、思ってはいけないと思います。

イエス様が教えてくださっている祈りによって、わたしたちに与えていただける最高のものは、「平安」だと思います。
ピリピ4:6~7

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
このみことばは「思い煩わないで、祈りなさい」と教えています。思い煩いから解放される唯一の方法は祈りだからです。

私たちは多くのことで思い煩います。健康のこと、経済的なこと、こどものことなど、思い煩いの種は、わたしたちの回りに満ちていて、この世に生きているかぎりそれはあります。

病気はまだいやされない、生活も苦しい、自分を悩ませる人が相変わらず身近にいる。まわりの状況だけを見ていると「神は祈りに答えてくださらない。」という不満で終わってしまいそうですが、神様は「祈り」によって、どんな状況の中でも確かな歩みができるよう、神様からの「平安」を与えてくださっています。

わたしたちは、この「平安」によって前に進んでいけます。

主よ。どうぞ、わたしたちが、辛い状況から祈ることを止めないようにしてください。

また、祈ってはいても、自分の願いだけに目を留めて、神様を見上げることを忘れてしまうようなことがないように守ってください。

そして、他の人に祈ってもらう謙遜と、他の人のことを祈る愛を与えてください。

エペソ6:18

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 2/13

ミレーの「晩鐘」
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by yuuchinpuutan | 2017-02-13 13:32