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by yuuchinpuutan

御心のままに

またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
(マルコ14:36)

イエス様が十字架にかかる前に、ゲッセマネの園で神様に祈られた言葉です。これは、わたしたちの祈りのお手本です。
父なる神の御心を求める祈りです。
信仰とは、神様は全知全能なるお方で、愛に溢れ、神様にとって不可能なことはないと認め、揺るぎなき信頼を告白することだと思います。

わたしには長きにわたり祈っていることがありますが、良くなったり悪くなったりと、なかなかこの痛みから解放していただけません。

「何故わたしなのですか?」と神様に問うこともあります。そんな時は神様が沈黙なさっておられるように感じますが、イエス様の神様への祈りを思い出したいと思います。

クリスチャンの中には今も難病と戦っておられる方々がたくさんいらっしゃいます。
本当に大変だと思います。イエス様と同じ祈りをなさっておられる方々もおられると思います。

そして、わたしと同じように神様が沈黙しておられるように感じている方もおられると思います。

しかし、御本人、家族、友人の祈りは積み上げて来られましたので、神さまはその祈りをご存知です。

わたしたちが試練の中で地上での命が終わることもあるでしょう。

癒しの祈りによって癒された方も、癒されなかった方も知っています。
癒されずに地上を去る御本人はもちろん、家族、友人にとっても大変悲しいことです。

しかし、どちらの方の祈りも聞かれていると信じています。それゆえ、癒しの祈りをしたなら、結果は神に委ねることが大切だと思います。

「死から救ってください」という祈りは、一時的には聞かれても、究極的には聞かれないものです。すべての人が、いつか必ず死ぬからです。

しかし、イエス.キリストがわたしの罪の身代わりになって下さったわたしの救い主だと信じた人は、死を通過することで、死ぬことのない復活の体が与えられます。

ヘブル11:13
 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」

ですから、今、祈りが聞かれなくても、御子イエス様をわたしたちのもとに送って下さった神様がいかに大いなるお方であり、愛に溢れたお方であるかを常に思い、御名を称え、賛美したいと思います。

詩篇104:33~34
「私は生きているかぎり、主に歌い、
いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
私の心の思いが神のみこころにかないますように。
私自身は、主を喜びましょう。」

今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。

2017. 3/22
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by yuuchinpuutan | 2017-03-23 07:46