神の愛
2017年 03月 29日
(ローマ5:8)
わたしはどうも最近、自分のことは棚にあげて、人の欠点というか、弱さが目に付いて、ガッカリしたりイライラすることがあります。
自分の良くないところ、自分の弱さを知っているわけだから、人の弱さに対しても、寛容にならなければならないと思っていても心が乱れます。
わたしが理想とするような人はいないし、第1自分がそうではないし、みんな優れたところ、欠けたところがあるわけですから、寛容な心で受け止めたいと思います。
そんなことを考えていたら、先日デボーションしたばかりの箇所が頭に浮かびました。
(マタイ7:3~4)
「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。」
神様に罪赦された自分なのに、ついつい他人には厳しい思いが頭をもたげます。
まずは、高ぶる心を捨てて、こんな罪深いわたしを神様は愛とあわれみによって救いへと導いてくださったこと、また、すべての人に神様はその愛を示されることを、いつも思う者でありますように。
神様はどれほどわたしたちを愛し、またわたしたちが互いに愛し合うことを望んでおられることでしょう。
神様の大きな愛に感謝して、人を受け入れ、赦し、助け合うことができますように。
第1ヨハネ4:9~12
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」
今日も御言葉に感謝して救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2017 3/29