みことばを語り継げよう。
2017年 05月 08日
(第2テモテ4:2)
昨日、礼拝のメッセージの中で語られたのですが、三浦綾子さんの「塩狩峠」の中で、主人公の永野信夫の父が家族に言った言葉が心に響きました。
「日常わたしが言ってきたことを遺言と思ってくれ。」と言う言葉です。
塩狩峠を読んだのは二十代の時でまだクリスチャンになる前でしたから、その箇所をサラリと読んでいたようで記憶にありませんでしたが、今、この言葉を礼拝のメッセージの中で聞いて思ったことは、
「わたしは自分の日常が遺言であるような、そんな、たしかな生き方をすることができるだろうか?。。。
それが出来るとしたら、聖書のみことばに生きることしか無い。」でした。
しかし、礼拝でみことばを聞いて、そのように生きようと決意しても、礼拝直後に、人の態度や言葉に腹を立てるようなそんな心狭く愛の無い人間です。
表に出さなくても、心の中がそうなのですから、何かあればその不満は口からポロリと出てしまう危険性があります。
クリスチャンとしての確かな生き方とは、主イエス.キリストをお手本として、周りの人々に魂の健全さをもたらす努力し、そのためにもあらゆることに対して主の教えに従うよう努める者であるべきです。
礼拝メッセージの中では、イエス様が十字架上でおっしゃった、御父へのとりなしの祈り、ルカの福音書23:34。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、使徒ステパノの殉教者する最後の言葉、使徒7:60
「「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」が語られました。
ステパノのこの言葉を、当時キリスト者を迫害していたサウロ(パウロ)は聞いていました。
そして、パウロは後にイエス様の言葉を聞き、劇的な改心をしました。
こうして、イエス様の遺言は周りの人たちに語り継げられたのでした。
わたしたちは自分の中にある罪の性質に、みことばによって日々勝利し、家族に、周りの人々に、ゆるがない信仰をもって、イエス様の福音を宣べ伝える者でありますように。
そのことを昨日の礼拝を通して語られたことを主に感謝します。
ルカ24:47~48
「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。」
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。
2017. 5/8