蒔いた種
2017年 05月 24日
(ガラテヤ6:7)
聖書通読ガラテヤ6章から。
この「思い違い」とは、罪の中にいても、神様を信じているから赦していただける。大丈夫だと思っている状態のことでしょうか。
たしかにわたしたちは、行いによらず信仰によって救われていますが、罪を犯したときの悔い改めをおろそかにして、それで平気でいるようなことはないでしょうか?
ガラテヤ6:8には「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」とあります。
よく「自分で蒔いた種は自分で苅りとるようになる」といいますが、これは本当にそうです。
わたしたちは子供のころから痛い経験をしています。
罪を神様の前に隠したりごまかしたり出来ません。
犯した罪はいつか明らかになります。なかなか明らかにならなくても、その犯した罪はわたしたち自身の心をいつも苦しめます。
ですから、わたしたちはこの失敗をしないためにいつも御言葉の光で自分の心を照らし調べなければならないのだと思います。
主よ。どうぞ、してはいけないことに気づかせてください。
聖霊がわたしに過ちに気付かせてくれて悔い改めに導いてください。
そして、御霊に満たされて歩む喜びを、いつもお与えくださいますようにお願いいたします。
ガラテヤ6:9
「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」
良い種を撒き、その収穫に希望を持って歩む者とされますように。
救い主イエス.キリストの御名によってお祈りいたします。
2017. 5/24