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by yuuchinpuutan

聖書通読。

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
(ヘブル1:3)

聖書通読 ヘブル人への手紙1章

今日からヘブル人への手紙を通読します。今まで、パウロが書いたローマ人への手紙を読んでいたためか、著者が分からないヘブル人への手紙は顔が見えないからでしょうか、分かりにくいところがあって、通読も難航しそうな感じがしています。

しかし、著者はわからないけれど、この手紙が聖霊に動かされた人によって書かれた手紙であって、この手紙の著者は聖霊なる神様ご自身だと感じ、信じることができますように。

ヘブル1:3では、「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり。。」とあります。

イエス.キリストは神様の本質、ご性質の完全な現れでいらっしゃるので、神様がどのような方であるか知るために、わたしたちはしっかりイエス様に目を向けて知るべきであるとヘブル人の手紙の冒頭で筆者は語っています。

イエス様は肉体を取られた神様の完全なかたちなので、わたしたちを救ってくださる力は絶対なのです。
イエス様が「右の座に着かれた」とはその使命を果たされたことを意味していますから、イエス様のわたしたちの救いのための犠牲は完璧です。
そのことを信じる信仰によって、神様はわたしたちの罪を必ず赦してくださいますから、わたしたちの信仰が揺らぐことがありませんように。

ヘブル人の手紙が書かれたころ、紀元前1世紀にクリスチャンになったユダヤ人は、確信がなかったり、迫害から、慣れ親しんだユダヤ教に戻る人も多くいたので、イエス様が真の救い主であると再確認しなければなりませんでした。

ここからわたしが学んだことは、わたし自身もクリスチャンになって20年近くになりますが、厳しい試練があると神様に背を向けてしまいたくなるようなこともあります。
時間もお金も自分のために使って人生を楽しみたいと思ったこともありました。
しかし、気付くと必ず神様のところに戻ってきています。
人生の楽しみ、中心と思われることがあったとしても、イエス.キリストを信じ歩む道が一番であることを、ヘブル人の手紙を読んで再確認したいと思っています。

第2コリント4:8~10

「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」

今日もみ言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 7/7
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by yuuchinpuutan | 2017-07-07 09:33