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by yuuchinpuutan

神の御子キリスト

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
(ルカ9:23)

聖書通読ルカ9:18~27

 イエス様は、五つのパンと二匹の魚で奇跡を起こされたのち、一人で父なる神様にお祈りしていらっしゃいましたが、近くに居た弟子たちにお聞きになりました。

「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。
あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
ペテロは「神のキリストです。」と答えました。

するとイエスさまは、このことをだれにも話さないようにと、彼らに命じられ、
「わたしは多くの苦しみを受け殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」とおっしゃいました。

さらにイエス様は弟子たちに、
ルカ9:23~24「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」とおっしゃいました。

この箇所から考えたこと。

わたしはクリスチャンになって間も無く、当時神学生だったご夫妻に「日曜の朝、聖書の学びをしませんか?」と誘われ、主人と参加して4人でしばらく学びをしたことがありました。

その初めての日に、神学生の方がわたしに、「優子さんは、イエス.キリストをだれだと言いますか。」と聞いて来られ、わたしはびっくりしましたが、即座に「神の御子です。」と答えました。
すると、神学生の方は大きな声で笑いながら「大正解ですね。」と言ったのでした。

その時のわたしは、なぜ笑われるのかわからなかったし、よく考えずに即座に答えたこともなんだかはずかしくて居心地の悪い思いをしました。

もし、今、イエス様がわたしの前に立たれて、「あなたは、わたしをだれだと言いますか。」とお聞きになったなら「神の御子キリストです。わたしの救い主です。」と答えるでしょう。

しかし、「では、わたしについて来ますか?ついて来るのなら、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従うのですよ。」とおっしゃったら、
「家族はどうしよう。。自分の十字架とはわたしに降りかかる試練。たいへんそうだなぁ。できるものなら、家族と一緒にイエス様についていくだけにならないかしら。」と思うでしょう。

けれど、イエス様は優しく哀れみの眼差しでわたしに、「生きることは、嬉しいことや楽しいことばかりじゃないのですよ。
自分の思ったとおりにいかないことばかりなのです。
だからといって、その苦しみの十字架、痛みの十字架を捨てて、逃げようとすると、もっともっと苦しく大変になります。
でも、わたしについて来るなら、わたしがあなたの十字架を一緒に背負います。」
と、おっしゃってくださいます。

わたしはそうおっしゃるイエス様を信じてついていきます。

マタイ17:28~30
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン。

2017 10/3
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by yuuchinpuutan | 2017-10-03 06:59