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by yuuchinpuutan

劇的瞬間

すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。
(ルカ9:35)

聖書通読ルカ9:28~36

 イエス様が、ペテロとヨハネとヤコブを連れて山に登られた時のことです。

イエス様が祈っておられると、イエス様の御顔の様子が変わり、御衣は白く輝き、そこにモーセとエリヤがいて3人が話していたというのです。
何を話していたかというと、

ルカ9:31
「栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。」
と、あります。

ペテロたちがどのくらい近くにいて3人の話を聞いていたかわかりませんが、話の内容からイエス様と話しているのが、あの律法のモーセと大預言者のエリヤと分かった時の驚きと感動は腰をぬかすほどだったのではないかと想像します。

「イエス様はやはり神様なのだ!」と確信したことでしょう。

そしてイエス様がモーセとエリヤと別れようとした時、ペトロは二人を引き止めようとして、三人のために幕屋を作りましょうと言いました。移動式の聖所を作り、一緒に旅をして頂きたいと思ったのでしょうか。

しかし、ここで神様の声が雲の中から聞こえました。
ルカ9:35
「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」

これは神様がペテロに「イエス様の言葉に従いなさい。イエスはわたしの子供です。あなたのでる幕ではない。」という神様のお言葉だったのでしょう。

ここから考え教えられたこと。

たとえば、もし、わたしが今このような体験をしたら、その素晴らしい光景を皆に知らせようとスマフォを取り出し、写真を撮ったりビデオにおさめたりしようとするでしょう。

しかし、感動の瞬間を保存することに気持ちをとらわれていると、その時の自分の肉眼で見て、体で感じる感動を経験できるチャンスを失うでしょう。
 
大切なのは、今、ここで、平凡な日常の中にある一瞬一瞬の小さな感動を味わいながら、モーセの律法を守り、エリヤの預言を心に留め、イエス様の言葉に従い、イエス様の愛を感謝して生きることだと思いました。

後にペテロは、この時の経験をペテロの手紙第2の1:17~21で語っています。

「キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン。

2017 10/4
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by yuuchinpuutan | 2017-10-04 06:30