お暇な時に見てね


by yuuchinpuutan

振り向くな

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
(ルカ9:62)

聖書通読ルカ9:51~62

イエス様が天に上げられる日が近づいて来たころ、イエス様はエルサレムに向かっていました。

その途上、イエス様に付いて行こうとする者たちがいました。

その1人が、
「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
と言うとイエス様は、
ルカ9:58
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と、おっしゃいました。

イエス様に「わたしについて来なさい。」と声をかけていただいた者たちの中には、ついて行く前に、
「父を葬らせてください。」とか、「家の者にいとまごいに帰らせてください。」とかお願いをした者がいましたが、イエス様は
ルカ9:62「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
と、おっしゃいました。

この箇所から考えたこと。

「手を鋤につけてから、うしろを見る者」とはどういうことなのでしょうか。
鋤は土地を耕す物で、それを使っての仕事は かなりの重労働のようです。
その重労働から逃れたい、怠けたいという気持ちを「うしろを見る者」とイエス様は表現なさったのでしょうか。

わたしたちは、主イエス様を信じて神の国に入ったのですから、もう後ろを顧みないようにしたいものですが、疲れたり苦しくなると、足を止めて過去を懐かしがったり、置いて来たものを惜しんだりすることがあるのではないでしょうか。

しかし、疲れたなら、イエス様の十字架のもとで休ませていただきましょう。

失敗したなら、鋤の方向を聖霊に戻していただき再開しましょう。

そして、最後まで、掘り起こし「良い地」に耕しましょう。
そこにわたしたちは多くの実を結ぶことになるでしょうから。

ところで、わたしは「うしろを見る者」から、旧約聖書のソドムとゴモラの滅亡で、ロトの妻が神に振り返るなと言われたのに振り返ったために塩柱にされた話を思いました。

なぜロトの妻はこの時、うしろをふりかえったのか考えました。
聖書には書いていませんからわかりませんが、ロトの妻は自分の家や持ち物に執着 したのだと思います。

このままイエス様について行きたい。でも父の葬式をあげてから、家族に最後の別れをしてからと、地上にあるものに気持ちが向いている人のようです。

「うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
大切な家族のことを思うと、なかなか厳しいイエス様のお言葉ですが、
 とにかく、イエスに信頼し、イエス従っていくということ、途中でうしろを振り返らないで、ただひたすら神の憐れみによりすがって前に進むということだと思いました。

ピリピ3:13~14
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」

今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。

アーメン

2017 10/6
振り向くな_d0100239_05233100.png

by yuuchinpuutan | 2017-10-06 05:23