この人を見よ。
2017年 11月 10日
(ルカ23:22)
聖書通読ルカ23:1~25
ユダヤのローマ総督ピラトはイエス様の無罪を3回にわたって宣告しましたが、ユダヤ人から政治的圧力を受けて、イエス様を十字架刑に処することを決めました。
イエス様を殺したい人々がピラトに「イエスを死刑にしなかったら、ピラトはローマ帝国に対する反発を抑えることができなかったとローマの皇帝に知らせる!」と脅したからでした。
ここで学ぶこと。
わたしたちは、みことばに従うと、このことは間違っているとはっきりわかることがあると思います。
しかし、それを発言すると多くの人たちの反発を受け、自分が明らかに苦しい立場に立たされることがわかると、自分の正しいと思うことと逆のことをしてしまことがあると思います。
ピラトも真に勇気のある人であったら苦しい立場になろうとも、イエス様を釈放したでしょう。
わたしたちもピラトと同じような苦しい選択をしなければならない時が人生において何度かあると思います。
クリスチャンになる前でしたが、わたしにもありました。
それによって長い仲間はずれに合ったことがありました。
当時は自分の発言と行動は間違っていないと確信していましたが、とても辛いものでした。後悔もしました。
しかし、クリスチャンになってからはそれはわたしにとって大変良い経験だったと神様に感謝しています。
これからも間違った圧力に屈することなく、神様の目に正しい選択ができるよう祈り求めて行こうと思います。
ヨハネ15:19
「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」
第1コリント2:6~7
「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。」
今日も御言葉に感謝して、救い主イエス.キリストの御名を通してお祈りいたします。
アーメン
2017 11/10
「この人を見よ(エッケホモ)」
クエンティン・マサイス作 1515年」