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by yuuchinpuutan

貧しい者

「心の貧しい者は幸いです。  天の御国はその人たちのものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
(マタイ5:3~4)

聖書通読マタイ5章

イエス様の山上の説教は、これから宣教の歩みをする弟子たちに語られた教えです。

この時、イエス様の人気は大変なものでした。なにしろ、みことばで病人を治したりなさるわけですから、噂はあっという間に広がり、たくさんの人がイエス様の周りに集まっていました。

そんな人気者のイエス様に弟子にしてもらった彼らは、内心得意になっていたことでしょう。
イエス様の弟子ということで、自分たちも名声、権力、金銭を得る機会だと思っていたかもしれません。

そんな弟子たちに、まず、話されたことは、「貧しい者は幸いです。悲しむ者は幸いです。」でした。
弟子たちは内心「え?どういうこと?」と思ったのではないでしょうか。

イエス様は弟子たちに、「名声、権力、金銭」は天国では重要でないこと、それを求めるかぎり、天国には入れないことを教え、むしろ、これから弟子たちが直面する、貧しさ、迫害、悲しみによって、天においては報いがあると教えられたのでした。

わたしはクリスチャンになる前から「貧すれば鈍する」ということわざが嫌いでした。

貧すれば鈍するとは、人は貧乏になると、利口な人でも愚かになるということです。
なんだか、悲しい表現です。お金の影響力のすごさも思います。

しかし、イエス様のおっしゃる「貧しい者」とは金銭ではなく、心の貧しい人を指しています。

心の豊かな人はこの世の価値感に振り回されることなく、どのような状況にあっても、イエス様に従い、喜びと希望を持って生きる人です。
そのような人はいつも神様に慰めと励ましをいただけます。

クリスチャンは心が貧しいとき、悲しいときにこそ、神様に祈り、慰めを求めます。
それはまことに幸いなことです。

詩篇126:5~6
「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。
 種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。」

今日もみことばに感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。

アーメン。

2018 2/13

ハインリッヒ・ブロッホ
『山上の垂訓』
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by yuuchinpuutan | 2018-02-13 06:48