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by yuuchinpuutan

悲しむ者は幸い

イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
(ヨハネ11:4~6)

聖書通読マタイ11章

バプテスマのヨハネは旧約聖書から、救い主イエス・キリストの到来を伝えました。

しかし、ヨハネは投獄されてしまい、人々を悔い改めのバプテスマに導くことができなくなっていましたし、イエス様がガリラヤというエルサレムから遠く離れた土地で、人々に歓迎されないような事態になっていたので、弟子をイエス様のところに送って、
「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」と聞きました。

そこでイエス様は、ヨハネの弟子たちに与えた返答として、自分のしている働きが、旧約聖書の預言の成就であることを語りました。

イザヤ29:18-19
「その日、耳の聞こえない人が、書物のことばを聞き、目の見えない人の目が、暗黒と闇から物を見る。
柔和な者は主によってますます喜び、貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。」

イエス様は山上の説教でも、語られました。
マタイ5:3~5
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」と、おっしゃいました。

イエス様は、ヨハネの弟子たちの質問に対して、旧約聖書の預言を知っているあなたたちが、自分の目で見て判断しなさいと投げかけました。

その結果、獄中のヨハネのところへ戻り、「あの方が、救い主です」と、自信をもって伝えることができました。

この箇所から気づかされたことは、わたしたちはクリスチャンですから、日々聖書を読み、聖書のみことばと自分の生活をしっかり結び付けて、イエス様の語られたことを理解し、将来に希望を持ち、感謝しなければならないということでした。

バプテスマのヨハネさえも、自分のイメージしていた救い主でなかったので、弟子をイエス様のところにつかわして、
マタイ11:3で「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
と、聞いています。

わたしたちも試練にあったとき、
「神様が何故こんなことをわたしに?」と思い嘆くこともありますが、その試練の先にある、わたしたちの思いもよらなかった恵みに希望を持って行こうと思いました。

1ヨハネ4:10
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」

今日もみことばに感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

アーメン。

2018 3/3

写真
我が家の近くの桜道。
河津桜が今満開。
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by yuuchinpuutan | 2018-03-03 07:03